荻村伊智朗が見た リ・ブンヒ 『私のスタンディング・オベーション』より

編集部注:『私のスタンディング・オベーション』は、1991年に日本卓球株式会社(ニッタク)より刊行された、荻村伊智朗による卓球評論集である。世界各国の名選手を荻村独自の視点で論じた一冊であり、その卓球哲学が凝縮された著作の一つである。

リ・ブンヒ(朝鮮)

’89年世界選手権大会女子シングルス2位

  • 1968年12月29日生まれ
  • 158cm、55kg
  • ’82年アジアジュニア選手権大会女子シングルス優勝
  • ’83年世界選手権大会女子団体3位
  • ’85年世界選手権大会女子団体2位
  • ’88年ユーゴオープン女子シングルス、女子ダブルス優勝
練習熱心な選手

「朝鮮の選手は実によく練習をします」と私に語ってくれたのは、この2年間で80ヶ国を訪問した際にある国で出会った中国人コーチだった。朝鮮卓球の建て直しに中国が協力した話は識る人ぞ識る、といったところだが、1年以上の長きにわたってピョンヤンに滞在した中国コーチも多くを数えるようになった。

「朝から夕方迄の日課をこなすだけでやめる選手はほとんどいません。夜間も自ら志願して練習する人が殆どです。私たちも大抵はつき合います。ですが、なんといっても大変なのは、週に一度の休養日に8時間も練習する選手が多いことで、これにお付き合いしたのですから、私も意思が強くなりました」。

 

朝鮮の選手たちの練習好きは試合会場でも有名だが、リ・ブンヒも例外ではない。楽しそうにいくらでも練習をする、といった感じだ。

 

こんなに練習するのは、ほんとうに例外的なのだろうか。少なくとも中国の選手たちより多いことは間違いなさそうだ。一日に8時間として3000時間近い練習を1年間にやりこんでいる、とみてよい。中国は2500時間程度と推定される。

第一期黄金時代を築いた選手たちには量の逸話があとになるとポロポロ出てきた。張燮林が10数時間も連続してカットの練習をした、などというのがそれである。しかし、60年代の中国選手団は、一日に2時間半しか絶対やらない、と言い通した。これに惑わされて”日本選手は練習のやりすぎ”などという識者もでてきた。新聞記者の中にもいた。

折悪しく学園紛争が日本の大学で吹き荒れ、日曜や休日の学校は封鎖され、夜は顔なじみの守衛さんから代わったガードマンに深夜練習を封じられ、日本の学生の練習量はどんどん低下していった。そして今日の年間1300時間程度に落ちてしまった。

日本の1940年代、50年代の選手達の約半分の量になった。いま復活の兆しが少し見える。ソウルオリンピック前の1年間の女子3名の統計では石田2100、星野1700、故障が時にあった内山1500といったところであった。

 

そのソウルオリンピック後、朝鮮チームはいちはやく欧州遠征を行った。リ・ブンヒもその主力として欧州勢をなぎ倒した。しかし本年初めのアジア・欧州対抗には出場せず、ドルトムントに向けて満を持しているかのようである。

リ・ブンヒの技の特徴はなんといってもバックハンドの強打。佐藤ほどの多彩さはないにしても強さはある。したがって戦術もこれを中心としている。各国ともだんだんこの戦術に慣れ、バックを打たせない策なども普及してきているだけに、初優勝の夢を遂げるのはそんなに簡単なことではないだろう。

(1989・4)

上昇に陰りが見えてきた’90年だったが、統一チームの結成で力が湧いてきた。玄静和とのコンビで中国を倒し、パク・ヨンスンの名声を凌ぐ民族英雄にチャレンジする数年が続くだろう。バックの技術に変化があれば、将来も通用するスタイルである。

 

※協力:日本卓球株式会社
出典:荻村伊智朗『私のスタンディング・オベーション』(1991年、日本卓球株式会社発行)

私のスタンディング・オベーション表紙

リ・ブンヒ1

リ・ブンヒ2

 

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