【編集部注】
本稿は、約3か月半にわたるヨーロッパ滞在を終えて帰国した荻村伊智朗を囲み、スウェーデンを中心としたヨーロッパ卓球について語られた座談会である。荻村は、現地選手の特徴やカット戦法、日本とヨーロッパの卓球の違いなど、自ら見聞きし、指導した経験をもとに具体的な技術・戦術論を展開している。さらに話題はアマチュアリズムへと広がり、「スポーツは誰のものか」という問いから、スポーツと庶民、社会との関係についても自身の考えを語っている。世界各地で卓球に触れてきた荻村が、競技技術だけでなく、スポーツそのものをどのように捉えていたのかを知ることのできる資料である。
ヨーロッパの卓球をきく スウェーデンより帰朝した荻村選手を囲んで
出席者
荻村伊智朗
田舛彦介
藤井基男
久保彰太郎(編集部)
★スウェーデンの諸選手
田舛 今度行かれて一番効果のあったのはアルセアですか。
荻村 アルセアですね、やっぱり。
田舛 17才……?
荻村 ええ……バックハンドを変えましてね、直せっていったら直さなくていいというんです(笑)。どうしてそんなかっこうしてるんだといったら、エーリッヒが言ったというんです……。カット打つにはいいですよ、確実でね。しかし攻撃対攻撃にはまずいですよ。それだったらヨーロッパ選手権はとれても世界選手権はとれないぞといったんです。中国と日本のロングには勝てんといったんです。そうしたら、じゃ直すって変えました(笑)。
田舛 表ソフト
荻村 表ソフトです。4ミリ……どっちみち連中はカットを打つには困らないですからね、どんなフォームであろうと。
久保 それで主に打つの
荻村 いや相手によるけどね。もう子供じゃないですよ。一人前の選手ですよ。
久保 ラルソンみたいな……。
荻村 ラルソンはね……ツッツクのと打つのとまあ何でもやるけど、カットの守備っていうのはあんまりやれないんだ。それでツッツキやったときはどっちかというとラルソンの良さは出ない。打ったとき良さが出る。ツッツキやってるときはそこらにころがってるただの選手ですよ。どうってことなくなっちゃう。こう気分が爽快になって打ち出すと凄いんだ。今ヨーロッパランク5位、世界ランク13位かな。
藤井 今スウェーデンではやっぱりメルストロームが一番
荻村 メルストロームね、国内でやると強いんだ、それが……完璧な卓球やるんだよ。国外へ出るといいところで駄目なんだよね。ラルソンはむしろ国外では時々優勝するでしょう。今度もベルリンとウィーンの国際選手権で優勝しているでしょう。ベルリンはボグンチに勝って、ウィーンはベルチックに勝っている。
藤井 ほう……。
★ヨーロッパの守備と日本の守備
荻村 カットの戦法なんですけどね、僕が今度教えてきたのと日本のカット選手と少し考え方が違うんじゃないかと思うんですよ。
藤井 というのは、
荻村 というのはね、長いツッツキのラリーというのは少なくなった。これは一つの進歩であるというとらえ方をしているね。
藤井 君が……。
荻村 いや、カットマンがさ、ところがカットの長い一時間なんてツッツキがなくなったというのは何がやったかというと、ロングマンがやったわけさ。
藤井 うん。
荻村 カットマンがやったわけじゃないんだ。それでカットマンの方としてはこれが進歩だと思う必要はないんだ……ロングマンの言い分であってね。それでロングの場合は、僕だったら何本でも粘る用意をしてさ、たとえ20分でも……五分五分のラリーというのは、これが原則なんだものな。
両方とも最高にいった場合は、両々うまくかわしたり攻めたりしながら五分五分にわたりあってさ、それでいつまでたっても終らないというのがこれが最高の卓球かもしれないよ。そういう意味でいくらでも粘れるということを前提としているわけさ。
たとえばへばって駄目だとか、このまんまじゃ勝てないというとき何か無理をするわけさ。それから力の均衡が破れて、相手が下手だという場合にはスマッシュが出、なんかが出るわけさ。ところがカット同士はどうかというと、当然世界選手権ということを日本のカットが望んでいるならだよ、ヨーロッパのカットに勝たなくちゃならない。それで日本の国内においてはだよ、一つの、その福士さんの理論もあるけど、カットはロングに勝てない、ショートはカットに勝てない……僕はあの循環説は面白いと思うんですよ。有益なところはたしかにあると思うんです。真理があると思うんです。
だけど世界の中の一部分に限ってみればさ、そういうことは成立つんだよ。スタイルによって次の時代次の時代と移っていくことはあり得るわけだんだよ。ところが世界全部が一つの指導理論という場合にはそれを及ぼして考えられるが現状ではとてもそんなこと考えられないわけなんだ。
日本で次の時代をつくるだけのスタイルであっても、それがすぐ世界の方にあてはまらない場合があるとすればだよ、日本でラリーが短くてすむから向うで少なくてすむかというと、そうはいかないんだ。向うにロングマンはあまり居ないんだから。
そうすると向うの奴は何をやってるかというと、それから僕が、たとえば対ユーゴ戦の前一週間何をやらせたかというと、まず20分ツッツけるだけの準備をさせるんだよ。立上りでもって、もし2、3本リードしたら制限時間やれっていうことなんだ。まずこれでもって五分五分のラリーをつづけてしまえということなんだ。それで制限時間をやって、5対3なら5対3で勝てということなんだ。それでこのリードをどうやって奪うか、それから最後をどうやって決めるか。
18~18とか、20~20という場合、その場合はサーヴと第三球の攻撃さ、この練習をうんとやる。それから相手が均衡を破ろうと思って仕掛けてきたとき、この場合ただ受けてたんじゃ損なとき、何をやるかというと、反撃、コントラアタックというやつだよ。この三つにしぼれるわけだよ。
カット対カットの場合は、勿論自分から攻めてくっていう場合はあり得るけれども、これはあくまで力の均衡が崩れている場合、自分の方が上の場合なんだから、それは精神的な欠陥がない限り、そりゃどういうふうにしたって勝つわけさ。五分五分の勝負でもってね、うまくサーヴ、あるいは最初相手の調子の出ないときとか、そういういろんな条件で2、3本リードをつくれば、あとは制限時間をやれということは、これは原則なんだよ。
カット同志の場合には20分というものがあるんだから……現在、それを考えないで、打てるカットでなけりゃというのは、こりゃもう勝つ方法を一つ初めから自分で捨ててるわけなんですよ。果たしてそんな甘っちょろい考えで世界選手権に挑めるか……。それは大いに疑問だと思うんですよ。ヨーロッパの選手がそれを持っている限り日本のカットがそれを持たないで勝とうというのはおよそ考え違いです。
田舛 打って勝つんなら専門家が居る。
荻村 そうです、打って勝つんなら僕らみたいに起きてからねるまで打つことばかり考えているのが居るんですから(笑)。
田舛 その専門家以上のことはどうせ出来ない。
荻村 時間の問題ですよね。一日40時間なんてないんだから、やっぱり練習時間をロングに割くか、カットに割くかの問題ですよ。そこんとこ間違われると、とんでもないカット選手が出て来てしまう……中途半端じゃ勝てないっていうことです。
★アマチュアリズムということ
田舛 あなたが朝日に寄稿されたアマチュアの記事ね、むこうじゃあんなもんですか。
荻村 あんなもんです。
田舛 卓球でも。
荻村 卓球でもです。全部とはいいませんが一流の中にはそういうのもいますね。おそらく日本はアマチュアリズムというか理想的なものの残る最後の国になるんじゃないかと思いますね(笑)。
田舛 たしかに最後の国になるなあ……スポーツとは何かということになるんでしょうけどね。
荻村 問題はね……スポーツは誰のものかということなんですよ。まあスポーツとは何かということもあるだろうけど、余暇に自分の体を好きなことに動かす、うまくなりたいとかいろんなこともあるだろうけど、誰のためのものか、そうするとほんとうに純粋なアマチュアリズム………現在理想とされているようなものが行われるためには、スポーツはある一部の者のためのものでなくてはならない。
本当ににアマチュアらしい選手というものは、たとえばエジプトとかインドなんかに見られるんです。何故かっていうと、ああいうところでスポーツをやってる人間というのは、みんな生活に余裕のある貴族の息子とか、教育もちゃんと受けて、上品で、とにかく冗談一つにしたってそりゃ違いますよ。
そういう場合にはスポーツをやれない奴っていうのがはるかに多く出て来ちまう。特定のクラブにでもはいらなくちゃスポーツなんかとてもその……。そしてクラブに入るには入会金がいくら、生活程度がどうの、推薦者がどうのっていうことなんです。
今度は庶民にまで及ぼすと、国中みんな誰でもスポーツが出来る……この場合、こんどはその……ピュアーなアマチュアリズムというものが守れないわけなんです。やっぱり庶民の中で非常に運動神経が発達していると、そいつが郵便配達で働いてると……どっかの大会へ来てくれと……。そしておれは行きたいが、そうすると2日間仕事を休まなきゃなんない、そうすると給料が減る、それを持ってくれないかという話になるわけです。
もうこうなれば純粋なアマチュアじゃない、ほんとうに卓球が好きならそんな給料がどうのこうのというようなミミッチイこと言わないはずなんです(笑)向こうの一流選手の中には、今までずいぶん払ってきたんだと、だから今それを取り戻すのは当然だと(爆笑)
…まあこんなところからアマチュアリズムというものはどんどん崩壊していくんです。だから庶民のものである以上、その日暮しの人にもスポーツが出来るということになれば、どっかにそういう洩れ口が出て来てくるんです。
藤井 スポーツの出発点というものがだんだん違って来ましたね。
荻村 出発点てのはどこかというのが問題なんだよ(笑)。ギリシャのスポーツが出発点だとするなら、あれは奴隷制の上に立った貴族社会のスポーツなんだからね。行ってみりゃわかるけど、奴隷なんてのは穴倉だよ、住んでるところは……ボンペイにしてもローマにしても、片方はその、同じ毛色でも戦で負けた奴をそこんとこへぶちこんどいて働かしといて、片方はその、月桂樹の葉っぱかなんか頭にのっけてさ。
田舛 どっかで線を引くということが出来なくなったんでしょうね。
荻村 まあ僕が朝日に書いたのは、ああいうことがいいとか悪いとかいうより前に、もうちょっと考えたらどうかということなんです。
★あるエピソード
田舛 何んか向うの面白い話ありませんか。
荻村 スウェーデンに一人面白い子供が居ましたよ。ハンディキャップトーナメントというのがありまして、それは毎年あるんですよ。全国各ブロックで予選をやって、最後にどっかに集って決勝をやるわけなんです。3000人が参加したんです。ええ59年度、1月。
それでもって、向うはエリートクラス(特級クラス)、一級、二級、三級というように選手が分れているんです。それで一級で何点ぐらい持っている選手には、何本でというようにハンディキャップが計算されて出る仕くみになってるんです。そこでもって優勝するのは大ていジュニアーなんです。たくさんハンディキャップをもらって。59年には当時14才だかの子供が優勝したんです。それに優勝すると一等賞としてローマオリンピックへ行って大会期間中宿泊費から旅費から見物料からみんな持つという賞があるわけなんです。
田舛 それはどっから出るんですか。
荻村 卓球協会から出るんです。
田舛 年に一回ですか。
荻村 年に一回です。それでそいつが勝ったんです。ところがそいつが協会へ来ていうのには、自分はローマへ行くよりドルトムントへ行きたいと、ところがドルトムントは近いからローマへ行くより旅費が安い。だから自分のコーチをつれて見に行きたいと、こんなの日本にもあまりないですよ。それで事実そのとおり、ドルトムントへ自分のコーチャーをつれて見に行ったんです。これはまあ相当な美談だと思うんですけどね。
協力:株式会社タマス(バタフライ/卓球レポート)
出典:卓球レポート1960年6月号










