【編集部注】
本資料は、荻村伊智朗が1987年の国際卓球連盟(ITTF)会長選挙への立候補に際して作成し、ITTF関係者に配布した英文資料「My Thought on the Presidential Role of the ITTF」の日本語訳である。
翻訳にあたっては、原文の表現や趣旨をできる限り忠実に再現するよう努めている。
英語原文は別ページに掲載中。
ITTF会長の役割についての私の考え
荻村伊智朗
要請に応じて会長選挙に立候補する時期
1983年、何人かの友人からITTF会長選挙への立候補を要請された。しかし私は、自分自身の活動があまりにも忙しいことを理由に、その要請を断った。そもそも会長選挙に立候補するのであれば、当選できるかどうかよりも、会長としてどのような貢献ができるかの方が重要だと考えていたからである。また、私はエバンス会長にも期待を寄せていた。
1985年には、かなり多くの友人たちから再び立候補を勧められた。しかし、私は以前と同様に辞退し、加盟協会間の友好的な関係が維持されるよう、すべての加盟協会を公平に導くことを条件として、エバンス氏の再選を支持した。
1985年12月、東京でITTF運営委員会が開催された際、私はこの問題に触れた。そして、加盟協会間の公平で友好的な関係を維持するため、エバンス氏が主要な協会や大陸の指導者たちと率直に話し合うことを提案した。
1986年の初夏には、多くの友人たちが、それぞれの協会や連盟の代表者として、私に次期会長への就任を求めてきた。その中には、アジア卓球連合、アフリカ卓球連盟、ラテンアメリカ卓球連合をITTFで代表する副会長たちや、アラブ卓球連盟など地域連盟の会長たちも含まれていた。
私は、私に期待を寄せてくれたことに感謝しながら、次のように尋ねた。
もし多くのITTF加盟協会が本当に変革を望んでいるのであれば、なぜそれを1989年ではなく1987年に行う必要があるのか。そして、多くの加盟協会が本当に1987年の変革を望んでいるのか。
当時の私は、多数の加盟協会が1987年にITTFの指導者を交代させることを望んでいないのであれば、私が会長選挙に立候補しても意味がないと考えていたのである。
1986年の真夏、日本の松本で開催されたアジア卓球連合の執行委員会、さらに同年10月に深圳で開催された評議会および総会において、私の立候補を求める決議が採択された。
同年秋には、アフリカ卓球連盟も総会で、私が1987年の会長選挙に立候補することを支持する決議を採択した。
また、ほぼ同じ時期に、カリブ海地域、中央アメリカ、南アメリカなどの卓球組織の会議でも、権利を放棄または留保した3協会を除くすべての協会が、それぞれ独立して私の立候補を求める決議を採択した。
会長職についての私の考え
1986年12月、アジア、アフリカ、アラブ、ラテンアメリカなどの卓球組織の指導者たちは、ITTFの主要な構成組織の一つであるヨーロッパ卓球連盟の指導者たちに事情を説明し、理解を深めてもらおうとした。
ヨーロッパでも変革が求められていることは、彼ら全員が指摘した。しかし、ヨーロッパの連盟の多くは1989年の交代を支持しており、一部は1987年の交代を支持しているとのことであった。
アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、ヨーロッパの各大陸連盟会長との個別会談、およびアジア・ヨーロッパ卓球連盟の会議において、中国卓球協会会長であり、ITTFのアジア大陸代表副会長でもある徐寅生氏は、ヨーロッパ卓球連盟会長のカペタニッチ氏らに次のように伝えた。
ITTF会長選挙の投票権を持つ約120協会のうち、80を超える協会が1987年の会長交代を望んでおり、その協会の人々は私が次期会長に就任することを望んでいると、徐氏は考えているというのである。
その会議で、私は次のような考えを表明した
1.まず重要なのは、ITTF加盟協会の多数が1987年の会長交代を望んでいるかどうかを確認することである。それが確認されて初めて、誰が指導者になるべきかという問題が重要になる。ITTFの会長職は、ある人物が会長になりたいから立候補するという考え方ではなく、推薦を受けた状況を考慮して立候補するという考え方に基づくべきである。したがって、その時点まで私は、支持を求める手紙を書いたことも、電話をかけたことも一度もなかった。
2.もし多数の加盟協会が1987年の交代を望み、さらに私が会長になることを望むのであれば、私は最善の仕事を行い、ITTFの繁栄と卓球の世界的な普及に貢献できるという自信がある。私を会長として活用することが、最善の選択であると信じている。
3.1986年9月27日、日本卓球協会は理事会において、アジア卓球連合の執行委員会が決議した荻村の会長選挙立候補要請を受け入れた。ただし、私の提案により、アジアだけでなく世界の他の地域でも圧倒的多数が私の立候補を望んでいることを直接再確認したうえで、最終決定を行うことになっている。
4.私は、エバンス氏が長年ITTFの発展のために努力し、過去に大きな貢献をしてきたことをよく知っている。また、1988年のオリンピック開会式で卓球選手たちが競技場に入場し、行進する姿を、会長として見届けたいという希望を、本人から直接聞いている。しかし、ITTF会長職は、過去の貢献に対する褒賞であってはならない。また、エバンス氏のそうした思いや感情については、会長職とは切り離した形でITTFが対応することもできる。実際、日本卓球協会は1987年に開催された総会において、この問題への対応についてすでに提案を行っている。
5.私が会長職に適しているのは、卓球の普及に最も貢献できる立場にあるからである。第一に、日本の卓球界と日本卓球協会は、他協会との交流、組織基盤、国内運営の豊富な経験という点で、国際卓球界でも最も力のある組織の一つである。個人的には、私は選手として長い経験を持ち、卓球の技術をよく理解している。また、日本だけでなくヨーロッパやその他の大陸でも指導経験があるため、他の大陸や協会の事情にも精通している。さらに、私は7年間にわたり、ボランティアの立場で専務理事として日本卓球協会の組織づくりに携わってきた。
日本卓球協会は、日本のあらゆるスポーツ団体の中でも強固な組織基盤を持っている。そのことは、昨年12月の第2回アジア・ヨーロッパ大会が、日本の13都市で昨年9月に成功裏に開催されたという事実からも明らかである。もし私が会長に選出されれば、世界のどの協会とも良好な関係を維持し、公平に対応することができるだろう。私はまだ若いので、会長に選出された場合には、1年間で約80か国を訪問し、各国の協会が卓球の発展に向けて直面している問題について話し合いたい。そして、それぞれの状況をITTF役員に報告し、発展のための新たな計画を提案したい。
6.ITTF会長は、多くの仕事を担う立場である。そのため、私は日本卓球協会の専務理事を退任しなければならないが、このことについてはすでに同協会の理事会の了承を得ている。また、個人的には、現在経営している会社の社長職も退き、新しい職務に専念するつもりである。
7.仮に私がITTF会長に就任したとしても、アジアや中国を過度に重視することはなく、中国の代弁者になることもない。アジアの友人たちは、そのようなことを要求しないと公言している。また、中国卓球協会も、公平な扱いだけを求めると明言している。もちろん、私はそのように対応するつもりであり、ITTF会長はすべての加盟協会に対して公平かつ友好的でなければならないと考えている。
8.現在の国際情勢と卓球を取り巻く環境を考えると、卓球が他のスポーツやレクリエーション活動と競争していくうえで、日本人である私を会長として活用することが最も有利だと信じている。なぜなら私は、ITTF事務局や各大陸連盟だけでなく、あらゆる分野や部門の人々と有益かつ円滑に連絡を取り、意思疎通を図ることができるからである。
会長選挙についての私の考え
来る2月の会長選挙では、総意を判断し尊重することによって、選挙による競争を避けることが最善の方法だと考えている。
もし圧倒的多数が交代を望んでいることが事実であれば、エバンス氏には、責任ある指導者の一人として名誉ある立場に就き、その立場でオリンピックやその他の行事に貢献する決断をしていただきたい。総意に基づいて行動することは、指導者の責任である。同じ姿勢は、私自身の行動にも適用されなければならない。
ITTFの方針についての私の考え
1.まず競争力を強化しなければならない
他のスポーツとの競争は、ますます激しくなっている。新しいスポーツが卓球の領域に進出し始めている。
卓球にとってオリンピックへの参加は画期的な変化であるが、他の20余りの競技にとっては、ごく当たり前のことである。
オリンピックだけに目を向けるのではなく、新しい計画を積極的に開発し推進していかなければ、卓球は衰退の道をたどるかもしれない。
2.奨励政策によって勢力の均衡を実現する
特定の協会が優勝を続けることは望ましくない。他の協会の意欲を失わせるからである。
しかし私は、「強い協会を弱くすればよい」という考え方には賛成しない。むしろ、「弱い協会を強くしよう」と言いたい。強くなるための方法は、それぞれの協会が置かれた状況によって異なる。
より多くの協会がITTFの支援を受け、中国と競い、中国を破るための奨励政策を採用すれば、より高い水準で勢力の均衡が実現し、卓球は他のスポーツと競争する力を増すことになる。
努力している者の意欲をそぐ政策によって実現された勢力の均衡は、競技水準の低下を招き、最終的には卓球そのものを貧しくする。
3.多目的な競技連盟を目指す
ITTFは世界選手権、ワールドカップなど、トップ選手による大会を開催している。
しかし、こうした権威ある大会を開催するだけでなく、さまざまな階層の多くの人々に対し、多様な形で卓球を普及・発展させるべきである。この点で、先駆者としての日本卓球協会の経験は、非常に貴重な財産となるだろう。
日本では、8歳から80歳までを対象とした12の年齢別選手権があり、国際ルールだけでなく軟式卓球のルールに基づくオープン大会もある。
さらに、スポーツ少年団、クラブ、小学生、中学生、高校生、大学生、会社員、女性、ベテラン、身体に障害のある人々などによる大会に加え、さらに、職業別・業種別の大会や、企業・団体内での競技会なども開催されている。
また日本では、医学の専門家と協力して高齢者向けのルールを研究しており、初心者向けのハンディキャップ制による大会も計画されている。
さらに、円形の卓球台、低い卓球台、大きなボール、軽いボールなども試作され、その一部はすでに市販されている。
ITTFは、日本卓球協会やその他の協会が先駆的な経験を通じて蓄積してきたノウハウを活用し、世界中の人々が楽しめる卓球をさらに発展させるための計画を立案し、実行すべきである。
4.独裁を避け、協議を増やす
ITTFは、重要な事項について、進歩した通信手段を活用し、各大陸や地域の連盟の代表者と事前に協議することで、独断的な決定や実行を避けるべきである。
例えば日本では、日本卓球協会が年4回の理事会、年2回の評議員会、年12回の専務理事会、年10回の企画調整委員会を開催している。そして、これら年間30回を超える会議の議事録は、緊密な意思疎通と報告のため、主要な関係者やオピニオンリーダー350人に隔週で送付されている。
日本卓球協会のこうした取り組みにより、関係者は多くの提案が会議に提出されて審議される前に、その内容を知ることができる。そのため、会議はほとんど問題なく円滑に運営され、新しい事業も着実に実施されている。
その結果、荻村が専務理事に就任してからの6年間で予算規模は3倍となり、約200万米ドルに達した。これは日本のあらゆるスポーツ団体の中でも最高水準にある。
この大きな飛躍を実現するために、日本卓球協会はメーカーからの徴収金を増やしていない。政府が負担しているのはわずか2.5%である。
略歴
氏名: 荻村伊智朗
生年: 1932年。キリスト教徒の父と仏教徒の母の間に生まれる。
学歴: 日本大学卒業
選手歴:
1948年、16歳で卓球を始める。
1954年、ウェンブリーで世界チャンピオンとなる。
世界タイトル:12
アジアタイトル:8
国内タイトル:11
指導歴:
スウェーデン、中国、アメリカ、韓国、ブラジル、西ドイツ、サウジアラビア、エジプトなど(20か国以上に滞在して指導)、および日本。
卓球・スポーツ団体役員歴:
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1980年より日本卓球協会専務理事(名誉職)
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1984年より日本オリンピック委員会
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日本体育協会評議員
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文部省の全国名誉スポーツ指導者
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外務省のスポーツ交流会議委員
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1970年代より国際卓球連盟評議員、その後副会長
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アジア卓球連合執行委員
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世界少年軟式野球連盟顧問
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世界ゲートボール連盟理事
事業:
1.国際ビル所有者
スーパーマーケット、卓球・フィットネスセンター、賃貸住宅を含む施設。現在改築中で、1987年2月に開業予定。
2.荻村商事株式会社社長
鉄鋼、機械、自動車、石油化学製品、絹、カーペット、食品、工芸品、文房具、家庭用品などを取り扱う。
3.スウェーデンのHexatrade社顧問
傘下に40以上の企業グループを持つ、スウェーデンの有力商社。
スカンジナビア地域において、富士フイルム、日本鋼管、松下の代理店を務める。















