【編集部注】
本稿は、『卓球レポート』1967年2月号に掲載された、第5回アジア競技大会を終えた日本卓球選手団監督・荻村伊智朗へのインタビューである。日本は卓球7種目中6種目で優勝したが、荻村は結果だけでなく、大会運営や競技環境、韓国をはじめとするアジア各国の選手の成長、日本選手の技術的課題について具体的に語っている。とりわけ、自ら指導した韓国選手の成長を冷静に評価し、日本にとって今後の強敵になると捉えている点や、日本選手の状態を翌年の世界選手権と結びつけて分析している点からは、監督としてアジア卓球の変化と日本の現在地を見つめる荻村の視点を読み取ることができる。記事末尾には、第5回アジア競技大会の記録・試合結果も掲載されている。
アジア競技大会から帰って インタビュー
【語る人】荻村伊智朗氏
(アジア競技大会日本卓球選手団監督)
オリンピックのアジア版。4年に1度開かれるアジア競技大会は、5回目を迎え、卓球競技は12月13日から19日まで、バンコク(タイ)のチュラロンコン大学で行なわれた。
荻村伊智朗監督以下9名の日本代表選手団は、連日40度の猛暑の中で健闘し、7種目中6種目に優勝し、12月23日夜帰国した。
24日は解団式。そして25日朝から静岡県御殿場市の世界選手権代表最終候補合宿へ参加という、いそがしさ。
このインタビューは、12月25日御殿場へ向かう車中(荻村氏の愛車ベレット)で行なったものである。
団体戦の表彰式はボクシング会場
――全員日やけして帰ってきましたが、暑さのためコンディションが狂ったということは、ありませんでしたか。
荻村 それは、ありませんでしたが、毎日40度前後のため、木村君なんかは、よく眠れなかったようです。それでも、タイとしては今が一番しのぎやすいというんですから、相当に暑い国ですよ。タイの人の話では、「いまは、だれも水泳をやらない。日本だって、冬は泳がないでしょう」と言うんです(笑)。
――大会運営は、どうでしたか? 伝え聞くところによると、床がすべってやりにくかったとか、光線の具合が悪いので、カーテンをはってくれ、とたのんだら、黄色いカーテンをはられて面くらったとか……。
荻村 一口に言って、タイでアジア大会をやること自体が非常に無理だし、背伸びだったと思います。しかしタイとしては、よくやったと思います。卓球会場はチュラロンコン大学の学生ホール。床と同じ高さから、3面がガラス張りのため、光線の具合いが悪い。それに集会所だから、モザイク式の木のかたい床なんです。北京大会(昭36)と同じように油がぬってあって、全く北京大会の再現です。
この2点について進言しようと思ったが、タイ人の気質というのは、長年にわたって独立国で、東南アジアの中では礼儀も広く行なわれているし、自尊心も強い。だから、抗議の形をとるべきではない、できれば話し合いをし、協力しながら、改められるところがあったら、改めてもらおう、という態度をとったわけです。
競技領域にしても、ルールでは7×14メートル以上となっているのに、6×12メートルのような気がしたし、ラインにしても、競技領域のはじの明るさは、台上の2分の1以上の明るさであること、と国際ルールに規定されているが、そうなっていなかった。
床も、すべってはいかん、と国際ルールにあるのに、ルール以上のことで、審判員がよく知らないことが多かったわけです。抗議ではなく、話合いにもっていったら、「カーテンをしよう」「床もできるだけ油を除去するようにふきましょう」、「6×12メートルで8台の用意をしていたが、7×14メートルにして7台に変更して、タイム・テーブルを組みなおしましょう」、「ランプの位置もずらして、端の方の明るさを確保しましょう」ということになった。それでも、会場の3分の2をサヨナラ・パーティ用に当て、最終日のシングルス決勝を一番はじのテーブルでやれ、と言ってみたり、団体戦の表彰式をボクシング会場でやるからこいといわれて行ってみると、ボクシングの試合が長びいて、結局別の日に表彰式をやったり……。日本の水準からいえば、とても及第点はつけられないものでした。
しかし、選手にも言ったが、要するに卓球競技は日本や中国では1目おかれているが、こういう国ではまだまだダメである。そういう現実の姿を直視して、しゃくにさわったと思ったら、いかにして自分たちの卓球の水準を高めるか、ということにエネルギーを使った方がよい。日本だって昔は、ラケットを持って歩くと、馬鹿にされたり恥ずかしい時代があって、卓球選手はラケットをかくして歩いていた時代があった。大会主催者をせめても、お互いにプラスにはならない。
「こん畜生!」と思ったら、それを自分の卓球のプラスになるようなエネルギーにした方がいいじゃないか、と話したんです。
床のすべりは、最初よりもよくなったが、しかし最後まですべった。木村、長谷川のような動きまわるタイプには、損だったと思いますね。
男子単敗戦のショックと優勝者金忠勇
――今回の日本代表は、ベストメンバー、あるいはベストに近いメンバーだし、中国、北朝鮮が参加していないので、前回同様、7種目に完全優勝するだろう、という期待が大きかったわけです。それだけに、男子シングルスで木村、長谷川が金忠勇(韓国)に敗れて6種目優勝に終ったことは、ショックでした。1964年3月に荻村さんが2週間ほど韓国のコーチをされたわけですが、その直後に「韓国は、今後はうるさい存在というより、日本の強敵になるだろう」と語っていましたが、その予言が不幸にして、的中したわけですが……。
荻村 今大会に参加した韓国選手は、全員、一緒に合宿をやった選手ばかりです。なぜ2年前にそう感じたかというと、彼らの今後確実な歩みを直感で知った。生活も礼儀正しく、日本選手の合宿よりも、むしろ困苦に耐える精神を合宿で見たわけですよ。このところ、ずっと韓国選手を見ていて、春(66年)の来日のときでも、実力からいったら、ほとんど日本にせまっていると思っていた。ところが、自信がない。日本には勝てない、と思っていた。だから、いざ試合になると、なんとなく負けていたわけです。日本チームとしては、それをねらいとして勝ちたいと思っていたが、団体戦で木村が金忠勇に1敗した。これでしょうね。勝負は。これで、韓国は相当自信をもったんじゃないですか。
コーチに行ったとき、日本で言ってると同じことを言ってきた。シェーク選手にはリストワーク(手首の使い方)、ロング選手にはいままで台からさがってのドライブロングが多かったので、強打とフォアへの合理化を強調したんです。
金の場合は、そのせいかどうか知らないが、ドライブ型なのに、ショートやバックハンド攻撃が非常に進歩していたし、フォアハンドロングのときのフリーハンド(ラケットをもたない方の手)の使い方も、日本のドライブ型のように大きく伸ばさないで、腕を直角に曲げて巻き込む。ドライブ型の選手でも、そういうふうにして戦える、しかもその方が短時間で打球動作ができることを立証したことは、むしろ日本選手がいままで伝統とかメンツがあるために理くつでは、わかっているが実際にやらないということよりも、進んでいると思いましたね。
女子シングルス3位になったシェークの尹についても、反撃がよく、バックハンドのリストワークがいい。ぼくらの理くつからいっても、リストを180度に近くまわしたきれいなバックハンドをやっており、いいと思った。日本の女子選手では、あれほどのリストワークをもった選手はいない。韓国へ行って残してきたものの芽をふいてきたと思いました。
――男子シングルスに優勝した金忠勇選手について。
荻村 ループに対するプッシュがよかったし、試合運びも、うまかった。木村とやったときは、鍵本(早大)と高橋をミックスしたような攻め方をした。前後のゆさぶりをやられましたね。ループに対するプッシュが、すごくいい。木村は2対1の第4セット、10-4から逆転されて負けたし、長谷川は第1セットを軽く勝ち、第2セット5-1のときにバックハンドがカバーで入った。ベンチから見てても確実に入っているし、審判員もセーフと判定。ところが、長谷川自身は入らないと思いこんでいた。
「セーフだ」と長谷川に言ったんだけれども、本人は得心がゆかなくて、その次を1本相手にくれてやった。立派なことだと思うけれども、ベンチでもセーフだといっているのに、わざとレシーブをミスをして相手にくれたその余裕が、心のゆるみにもつながった。
それから、5~6本ずつリードしていって、17-13か18-12から追いつかれて、やられたんです。ほとんどが、バック側へのショートサーブ、そのあと3球目をバックハンドで攻められた。長谷川はグリップの関係で、バック側の小さいボールをバックハンドではらえない。そこをうまくつかれたわけです。
バルナー(英、元世界選手権保持者)が大会を見にきていたが、長谷川のグリップについて、こういう意見を言っていた。「柄をもつ卓球というのは、不安定だ。大事なところで緊張すると、必ずミスが出る。親指と人さし指でヘラを持つようにすべきだ」と。金は3球目の小さいボールをいいバックハンドを振ります。フォアハンドにしても、長谷川のドライブに最初は合わなかったが、なれたら、ピシッとトップでたたく。小中がいい時に木村のボールをトップでたたくような、ボールがあった。
深津4冠王とドライブの威力
――女子は日本の圧勝だったようですが、なかでも深津が4種目に優勝しましたね。ストックホルム大会では山中、深津、森沢が主力と考えられますが、山中―森沢で全日本決勝を争い、そして全日本で悪かった深津が今大会で4冠王となったということは、世界選手権ということを考えた場合に、大きなプラスと思いますが……。
荻村 そう思いますね。深津は66年春から夏の中国遠征にかけて、からだをこわしたり、精神的にもかなり動揺があったんですが、これで安定してくれると心強いと思う。対中国戦のときは、ボーッとしていて、夢遊病者のような感じがありましたからね。女子は4人のうち誰が出ても、ひとり出れば優勝したと思います。それほど日本は他を離していたし、4人とも安定していたが、男子の場合は金忠勇、李国定(台湾)、ボゾルグザディ(イラン)、それにもう一人の台湾のショートの選手など、強い選手がいた。
男子では高橋が安定してよかったし、三木もまぁまぁ。木村、長谷川にしても、調子は悪くなかった。特に木村は、暑さのため、ボールのはずみが50センチほどちがう、球足がそれだけ伸びるため、ドライブが威力を非常に発揮した。深津がよかったのも、ドライブが国内の試合よりも、非常に伸びたためです。しかし、世界選手権(ストックホルム)では、気温がタイと15~20度もちがうので、ドライブ型の選手にとっては、むしろ戦いにくくなると思う。
深津の4種目優勝で一番重視したいのは、ミックス。深津はダブルスがにが手の選手だった。この1年ぐらいですが、ダブルスで伸びているのは、深津・山中の女子ダブルスは非常に息が合ってきたし、圧勝したが、ミックス決勝では、1対1であぶない場面があった。深津に無理でも思いきらせた。多少のミスも出たが、作戦どおりに動き、深津が思いきったために勝ったわけです。ダブルスにおいて、深津はいままでにはない活躍をした。シングルスは山中が肩の肉ばなれのようになって、決勝の2セット目あたりから、だんだんフォアを振れなくなった。
深津、山中に森沢がピッタリくっついているし、森沢をもっと使いたかったが、ひざの故障で使えなかった。アジア大会憲章(注:個人戦は1種目に1人または1組しか出場できない規定になっているが、荻村氏の提案で2人または2組出場)のために森沢、磯村がシングルスに出られず、かわいそうだった。しかし、勝負の世界はそういうもので、「一将功成って万骨枯る」、そういう感じがした。
自信をつけた韓国
――今大会は、男女とも日韓の優勝争い、という感じがしましたが……。
荻村 男子団体の2位は台湾ですから、日・韓・台でしょうね。しかしインドネシアの15~17才、タイの15~18才のチーム。これはあなどりがたいと思います。
韓国はこれですっかり自信をつけるでしょうね。1965年の世界選手権のように、ソ連に5対0の10-0(1セットもとれない)という負け方はしないと思う。
じゃ、金がストックホルム大会の優勝戦線におどり上がれるかというと、そうは思えない。まだ、いまの金の速さでは、中国勢には勝てないでしょう。しかし、高橋程度か高橋に近い程度は、やると思う。
女子は尹、崔(共に韓国)が伸びてきている。両方とも18才ぐらい。小野(中大)、広田(専修大)クラスという勝負でしょう。小野でも、当たれば全日本団体のように、山中、深津に勝つことがあるんだから、18才でこのくらいの強さということは、尹、崔の力は相当なものです。
出典:『卓球レポート』1967年2月号「アジア競技大会から帰って」
協力:株式会社タマス(バタフライ/卓球レポート)














