OGIMURA ACTIVITY REPORT 1987 November 1987年11月

【国際卓連会長報告】(第4回・9月)

※理事会並びに全協会各位

関係の方々のご助力といくらかの幸運に恵まれ、私は8月末現在で、40以上の国や地域を訪問することができました。

私はこのたびも全ての場所で暖かい歓迎を受けました。また訪れたそれぞれの場所で、十分で建設的な会合をもつことができました。ITTFブレティン197と事務局長からの文書によって、私の訪問の目的と議題はあらかじめよく理解されていました。これは時間を浪費することなく話し合いがすすめられたことを意味しています。

 

第5,6,7回の訪問中に、私は卓球ファミリーとの会合のほかに、次の方々との話し合いの機会をもつことができました。北朝鮮・エジプト・ヨルダン・バハレーン・ネパール・ビルマ・インディアナポリス(USA)・ペルー各国の政府閣僚とNOC委員長やスポーツコミッション委員長です。私はここに貴重な時間と情報をくださった名士の方々に感謝の意を表します。

※個別の会談と訪問した協会を以下に書き留めます

第5回訪問(6月14~17日)

朝鮮民主主義人民共和国、ATTU秘書処、IOC理事Mr.He Xhenliang

 

第6回訪問(6月21日~7月4日)

ITTFエグゼクティブコミティ、ITTFマガジン編集者、IOC会長、スウェスリングクラブ・エグゼクティブコミティ、チュニジア、エジプト、ヨルダン、バハレーン、パキスタン、ネパール、ビルマ、タイ、ヨルダンのスポーツ・青年大臣(MSY)、エジプトのMSY及び内務省、バハレーンMSY、ネパールMSY、ネパールNOC議長、ビルマ・スポーツ委員会理事長

 

第7回訪問(7月30日~8月26日)

第8回ワールドカップ(マカオ)、ITTFテクニカルコミティ委員長、第7回ピョンヤン国際大会、北朝鮮NOC議長、ITTFアジア副会長、IOC会長、西ドイツ会長、lMG、ITTFルールコミティ委員長、ITTFマガジン編集者、ITTF事務局長、パンアメリカン競技大会、アメリカ卓協会長、パンアメリカン競技大会にて各国代表と(ブラジル、ペルー、エクアドル、アルゼンチン、コロンビア、ベネズエラ、ボリビア、チリ、メキシコ、ウルグアイ、ジャマイカ、キューバ)、ITTFラテンアメリカ副会長、1TTF北アメリカ副会長、カリブ卓連会長、プラジルのサンパウロ卓連とプラジル卓球連盟副会長アルセンチン、チリ、ペルー、ペルーMSY

※これからの訪問予定

第8回訪問(9月13~23日)

フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、スコットランド、IMG、ASOIFとIOC、IOCスポーツディレクター、象牙海岸、ナイジェリア、ガーナ、ケニア

 

第9回訪問(11月19日~11月21日)

ハンガリーオープン、ルーマニア、チェコ、オリンピックヨーロッパ予選、第40回世界選手権組織委員会

 

第10回訪問(11月29日~12月3日)

ITTFマネジメントコミティ、韓国、SL00C(1988オリンピック大会組織委員会)

 

私はアジアジュニア選手権(10月5~7日・ジャカルタ)とアジアカップ(11月6~9日・ソウル)を訪問する予定です。(ATTU執行委員としての私の資格でJTTAスポンサーによる訪問)

※第8回ワールドカップと将来のワールドカップ

私は555ワールドカップ第8回の開会式に出席しました。それは一般的にまた伝統的な意味で成功でした。しかしながら、IMGとの話し合いを、ワールドカップは関係ないと現在感じている加盟協会にもっと関心を持ってもらう方向でワールドカップを改善するために継続中です。

30をこえる協会との協議のあと、エグゼクティブコミティは次の原則に基づいて初歩的な提案をIMGに示しました。

 

  1. ワールドカップをもっと名誉のある大会にする。(例:優勝者は現在の割り当ての枠内で次のオリンピックへの参加資格を自動的に得る)
  2. 大陸のチャンピオンは、引き続きワールドカップに全額ITTF持ちで招待される。しかし、弱い大陸チャンピオンや地方(ホスト国)のチャンピオンの参加については抗議の声があり、水準氏いプレイヤーがワールドカップの質に損害を与えるという声には留意すべきである。だが、引き続き執行委員会はこれらの大会に激励を与えるため、この制度を継続する。
  3. 第一段階は全ての世界ランク選手にオープンにされる。
  4. 第二段階は8人の招待されたトップ選手と第一段階からの8人のベストプレーヤーによって行なわれる。
  5. 賞金は増やされるべきである。
  6. ワールドカップを、それが成功した場合に千人何万人という単位の愛好者を増やす可能性のある協会に持ってくる努力がされるべきだ。(しかし、現在のスポンサーの主なマーケットが東南アジア、カリブ、ヨーロッパとアフリカの数か国に限られていることを銘記しなければならない。)

 

IMGは9月中旬までに彼ら側の提案をまとめることを約束しました。なぜならば、IMGとの契約が継続されるかどうかを我々は9月末までに決定しなければならないからです。

※1988オリンピック

マカオ訪問のあとで、私はヨーロッパ数か国を含む11か国参加の第7回ピョンヤンの開会式に出席しました。

私はチームリーダー達だけでなくキム・ユスン北朝鮮体育指導委員長と会い、そのうえ旧友のキム・ドクチュン氏(副委員長)とも会いました。彼らの意見と第24回夏期オリンピックにむけての準備の詳細を聞きました。私は「アンコルスポーツ村」の建設現場に招待されました。そこには9つの体育館とスタジアム、2つのホテルとリハビリセンター、プレスセンター、その他50,000の訪問客を収容する設備がつくられる予定です。特別の卓球館をそれらの設備11月末までに完成される見通しです。

 

一週間後私は第7回目の訪問をはじめIOC会長との今年4回目の会談をチューリッヒで行ないました。私はピョンヤンの感想を述べ、同じ朝サラマンチ氏は北朝鮮オリンピック委員会からの修正案を受けとりました。私の印象では、修正案はサラマンチ氏に大きな感銘を与えるものではありませんでしたが、かれは南北朝鮮オリンピックコミティがオリンピックの卓球大会がピョンヤンで行なわれることに合意する可能性を決して諦めていません。

加盟団体は私がサラマンチ氏に再度将来のオリンピック、出来れば1988年のオリンピックから卓球の参加数アップをお願いしたことについて特に興味を持っているでしよう。サラマンチ会長は私に検討しておくことを約東しました。

エバンス夫妻の1988オリンピックへのITTFによる招待についてサラマンチ氏はIF会長と同じ資格のIDカードが夫妻に贈られることを保証しました。私はこのことをサラマンチ氏との第2回会談のあと6月パリからエバンス氏へ報告してあります。エバンス氏はこれを喜んでいることを私につたえ、私もまたこれを喜んでいます。

私はブルックス事務局長とともにIOCスポーツディレクターのトローガー氏と9月16日に、IOC会長と9月17日に、ローザンヌでのASOIF会議の際に会うことになっています。(ASOIF=夏期五輸競技連盟)

1988オリンビックへの卓球の初参加のための準備に関して、また1992年の準備について、エグゼクティブコミティはソウルで開かれる11月末のマネジメントコミティの際にITTFオリンピック小委員会をも開催することを決定しました。

※アフリカ競技大会

IOC会長との会談の日取りが変更できなかったことで、ケニアのナイロビで行なわれた全アフリカ競技大会卓球競技の閉会式に出席できなかったことをとても残念に思っています。しかし、会長代理のハマランド氏が私のかわりに出席することができました。私は彼のホスピタリティをもち、話し合いに時間をさいてくださったアフリカの同僚に大変感謝しています。ハマランド氏のレポートはすぐに読むことができるでしょう。

私は既にケニアの同僚と9月にアフリカを訪問することを約東しており、事務局長が適切な旅程を用意しています。

※パンアメリカン競技大会

私は8月14~16日にインディアナポリスで行なわれたPAXを訪れました。この大会には先日のマカオのワールドカップでスウェーデンのヨルゲン・パーソンを破ったブラジルのカノウを含むアメリカ大陸の最も強い選手たちが集まっています。パンアメリカンの選手の水準は過去に比べればベストとはいえますが、近い将来更に向上するでしょう。

第7回訪問の最中に私は西ドイツ卓球協会会長、ハンス岐阜市(チューリッヒにて)、IMGメンバー、ルール委員長クレメット氏、マガジン編集者リチャード氏、イートイン氏(ロンドンにて)と会い、インディアナポリスではブラジル、ペルー、エクアドル、アルゼンチン、コロンビア、ベネズエラ、ボリビア、チリ、ジャマイカ、キューバ、ウルグアイ、メキシコの代表者ともそれぞれ会い、発展計画の多くの展望について話し合いました。

これらの話し合いに関する私のレポートは、事務局長へ要求次第、各協会で入手できます。私の行ったほとんどの会合の報告については、協会の要求があれば即座に入手できます。事務局長は喜んでコピーを供給するでしょう。これらの報告は、これからの訪問が期待される協会にとっては特に興味のあるものであり、これによって話し合われた話題に関する他の協会のコメントを参照できるようになることを希望しています。

※発見計画の報告

ブレティン197で示した項目のいくつかについて報告いたします。

※セメントテーブルストーリー・主にアウトドア用として

第2回訪問中、私は会長と理事長テジヤバニア氏の招待でタイを訪問しました。会長は元国会議員で、成功したビジネスマンであり、タイで一番のゴルフコースのオーナーです。そのコースでは、アジア初のワールドカップゴルフ大会が行われました。

彼は会長の任務として、就任とともに速やかに卓球をタイでもっと普及させたいと決心したと私に話しました。そしてそれはむしろ簡単であると思っていると話ました。なぜなら卓球は高価なスポーツではないからです。しかしながら、全国に卓球を普及させるための6ヶ月の真剣な努力のすえに、彼は卓球がとてもとても高くつくスポーツであることを認識しました。

「卓球をするためには、卓球ができる建物を建築しなければならない。土地を借りるか買うかしなければならない。卓球台も輸入すれば高い。何万もの卓球台を普及しようとしたが、お金がかかりすぎることがわかった。」

それゆえ、彼は研究所の技師やセメント会社と協力してセメントテーブルの大量生産の研究を始めました。

「18ヶ月の試みと失敗のすえ、われわれはやっと第1号を見せることができるようになりました。来て試してみてください。どう改善したらいいかを教えて頂いただくために、トッププレイヤーであったあなたに試していただきたいのです」

翌早朝に東京へたたねばならなかったため、私は深夜ではありましたが、彼が体育館を訪問することに同意しました。そこには10台以上のセメントテーブルが置かれていました。

そのバウンドは木製の標準台とほとんど変わらないこと、ペイントされたものは天板が薄いのでまさに木製の台のように見えることを報告します。タイ卓球協会はこの1年で6000台のセメントテーブルを製造することを計画しており、会長は国内の注目されている人物を起用して、セメントテーブルの地位をプレステージが高くあるように印象づけるためにテレビで会長自身との模範演技を行いたいと希望しています。ネットについては小さな問題があります。タイ卓球協会はまだネットの材料に何がふさわしいかを見つけるために研究を続けています。それは永久的に台につけられるものでなければなりません。

日本では東京に近い横浜と藤沢の公園にセメントテーブルが以前に設置されました。いままでにその台は1000~1500 US$と高くつくことがわかりました。なぜならば市役所が安全な台の製造にとても神経質だからです。安全とは何人もの子供たちが遊んだり、その上に座ったりしたときに簡単に壊れないということだけでなく、子供たちが台の角に頭をぶつけたときの安全を含んでいます。横浜と藤沢のこのテーブルは角が丸くなっています。

私はゴルフコースの体重の重い2人のガードマンがテーブルの上で同時に跳ねたらどうかと聞きました。やってみたところ何も起きませんでした。

次に、台の値段が高すぎませんかと聞きました。会長は費用はかかりますが100 US$以下でしょうと言いました。私はタイ卓球協会が技術のノウハウを他の協会へ伝える用意があるかと尋ねました。会長と理事長はタイ卓球協会は利益を求める組織ではないと言いました。彼らはその技術ノウハウを他の無利益組織に小さな条件だけで与えるでしょう。

私はこの情報とともに、次の訪問としてヨーロッパを5月末に訪れました。また、パリではUNESCOを訪問しました。というのは、4月のASOIFとIOC-ASOIF会談の2回にわたってUNESCOがアフリカむけの簡単な設備でできるスポーツを検討中であると聞いていたからです。私はUNESCOの責任者から話を聞きたいと思っていました。デルガショフ氏は、フランスのUNESCO委員でこの計画の責任者ですが、彼は私にこう言いました。このプランは主にバレー、バスケ、ハンドボールのIFとドイツのあるスポーツ設備会社とが密接に協力し中心になってすすめられるもので、卓球はこの計画に入る余地はないものと理解した方がよい、と。

それから、我々はさらに卓球がどうUNESCOに協力できるかについて話し合いました。そしてUNESCOとITTFとIOCソリダリティプランがいっしょに研究する方法があるかもしれないということがわかりました。

デルガショフ氏はその時わたしに約束したばかりでなく、再確認の電話も後でしてきました。それは彼がUNESCOの執行委員長を納得させ、UNESCOがアフリカの南半球から3つのテストパイロットとなる政府を選び出し、その国の首都のセントラルパークに50~100のセメントテーブルを設置するという案でした。

しかし、1週間後私はIOC会長から、パリでアドバイスをいただきました。

「もう少し保留にしておいた方が良いかもしれない。なぜならば、UNESCOとIOCの協力が一層強くなるような状況が変わるかもしれないから」ということでした。そのような変化の後で、我々はUNESCOとIOCの両方からゴーサインをもらうという方向で進めたいと思います。

 

私は偶然、すべてのアフリカの政府がセメントのテーブルに興味を持っているのではないことを知りました。第6回訪問の途中で私はチュニジア卓球協会会長のシェリフ・ハジェム氏の紹介で、スポーツ・青年大臣と会うことができました。チュニジア卓球協会は国全体の地方のクラブや協会を最もよく組織していますので、大臣は、さらに数百の部屋を卓球のために用意するのは何の問題もないといいました。

彼は国内での木製卓球台製造の技術ノウハウを知りたがっています。彼は先進的な製造業者の指導で高水準の製造をすることができると確信すれば、すぐにでも周囲の製造業者に喜んで、2000台の注文をしますと言いました。

それから私はカイロに飛び、スポーツ・青年大臣、エジプト内務省、カイロ市のスポーツ担当局長とともに会いました。彼らは、我々のスポーツがちょうど今カイロの若者の間でブームになっていると話しました。

彼らの話によると、子供たちはカイロのどこの道路でも卓球を楽しんでいるし、どこの裏庭でもどこの広場でも木の板をテーブルの代わりにして楽しんでいる。「それは我々にとって素晴らしい傾向です」と私。「しかし社会的な問題になりつつあります。」と彼らは言いました。子供たちが少額の現金をかけ始めたのです。子供たちの賭博は当然法律に違反しています。

この時、エジプト卓協新会長のサボル氏は、タイのセメント計画のことを何も知らずにエジプト当局に彼がセメント・建設会社の友人とともにセメント卓球台の製造を既に始めたことを説明しました。サボル氏はカイロ市の公園や広場にテーブルを設置することを望んでいます。そして彼は本当の卓球を子供たちに示すために、ナショナルチームの選手をそこに送り込んで模範演技をさせる計画で、一部では既に実施しました。

サボル氏の説明によれば、セメントテーブルは1台100 US$以下でできるそうです。彼とセメント会社の技術スタッフは苦労の末に台に永久に取り付けるためのメッシュワイヤーネットを開発しました。しかしながら、彼はテーブルの表面を完全に木と同様になめらかにするには少し問題を抱えていました。彼はタイ卓球協会が喜んでノウハウの交換をするということを知って歓びました。

数日後ネパールで、私はポリスアカデミー小学校の授業前の朝練に招待されました。私たちはカトマンズの中心地から1時間のドライブをして6時30分に到着しました。子供たちはもうセメントのテーブルで練習していました。それぞれのクラスが1台ずつテーブルを与えられていました。その学校は他のネパールの学校のように山の斜面に建てられていましたので、サッカーのようなスポーツを楽しむ広い場所はありません。校庭は5段に分かれていて、それぞれの段にはその場で作られた手製のセメントテーブルが2台ずつ置かれていました。ネパール卓協はセメントテーブルだけを頼りにしているわけではなく、ネパール国内で木製の卓球台を製造するために、中国の業者の技術者を招きました。この招待の承諾については、私自身北京で中国卓協会長と会ったときに再確認しました。

8月1日の平壌国際大会の開会式の際に、私はブルガリアのある市長と会いました。彼の市では、ブルガリアナショナルチームにトレーニングセンターを提供しています。ブルガリアチームの団長でも市長は私に、ブルガリア政府と卓球協会はセメントの卓球台の大量生産を始めていたことを話しました。今年の計画では6000台をブルガリア中に配布する予定です。チームリーダーの話では、ブルガリア卓協は他の協会との情報交換を歓迎するそうです。

私はまた、北京でも学びました。8月3日ピョンヤンからの帰路の途中、徐寅生会長は私に言いました。もし工場で作ったセメントテーブルがふさわしくないと感じている協会があれば、中国卓球協会は歓んで高品質の鉄製のセメントテーブルを製造する技術ノウハウを提供します、と。

インディアナポリスでパンアメリカン競技大会の際にいくつかの協会がセメントテーブルに興味があると述べました。ウルグアイ卓協は興味を持っている協会の1つですが、と言うのは「私たちの国には革はあっても木はないからです」とタラント会長は言っていました。南アメリカの各国への訪問でブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルーが木製卓球台の製造工場を持っていることがわかりました。

現在私は、タイ、エジプト、中国、ブルガリアとの協議した経験から、セメントテーブルに関する「技術伝達方法マニュアル」を作りたいと考えています。もし他の協会で技術ノウハウを持っていて、計画に賛同するところがあれば報告していただくよう希望しています。

※ ITTF奨学プロジェクト

香港やオーストリアのような世界チャンピオンを生み出しています。中国の容国団は母の国へ帰化するまでは香港のジュニアチャンピオンでした。香港卓協の同僚は、香港で世界チャンピオンの素質を持った若い選手を見つけるのは難しいことではないと言いました。しかし、選手の両親に17歳を過ぎても卓球に専心する日常活動を同意させるのは難しいというか、ほとんど不可能であることも指摘しました。

というのは、国家選手としての生涯の終わった後の保証するものは政府を含めて誰もいないからです。香港では教育が最優先ですが、卓球は知力を要求されるスポーツなので、才能のある卓球選手は学業の成績もしばしば高いそうです。

「それゆえ、私たちは才能ある若い選手の両親に、卓球は子供たちに将来を保証してくれると納得させる新しい方法を探した方が良いでしょう」と香港の友人は言いました。例えば、ITTFが準備したいと思っている奨学プランは有能なプレイヤーに大学在学中の専門的な訓練を可能にするでしょう。英語は世界の多くの国で最も利用されている外国語なので、ITTFは奨学計画をアメリカかイギリスで行えるように進めるのが最も良いと思われています。シンガポールの友人はさらに、ITTF奨学制度によって得られる証明書か学位が選手の母国で有効であるようにする必要があることを指摘しました。

イギリス卓協議長ジョン・プリーン氏はこの件について研究する約束をしましたが、後にETTA理事長アルバート・シップレー氏は、興味を示した3つの大学の詳細を報告しました。アイルランドとベルギーにも興味を持ったところがありました。(ベルギーではコーチも選手もフランス語を話す必要があるでしょう)中国、スウェーデン、ユーゴは英語を話す若いコーチを供給することを約束しました。まだ奨学計画について話し合っていない東欧の協会も私が訪問して話をすれば返事をしてくれる可能性があるでしょう。

話し合った協会の85%は実現を希望しています。両朝鮮のようないくつかの協会はこの計画から世界チャンピオンを育てるのは困難であると述べました。なぜなら、学生というのはほとんどの世界チャンピオンのように彼らのすべての時間を専門的な訓練に捧げられるわけではないからです。

私は、我々がこの計画を継続すれば、主目的は各加盟協会の次代の選手たちの中心核を用意することになり、機会を授けられたものはチャンピオンになるかもしれないし、コーチになるかもしれないし、将来協会の役員になるかもしれないが、それで良いのだと思う必要があります。

これらの話し合いの間にドイツ卓協会長のゲブ氏と会談し、一般的な意味でより高い教育水準と器量を持った人々が卓球に興味を持つようになる必要があるということで同意しました。ユーゴ卓球協会もまた、知力は選手を選ぶ時の基準の一つであり、選手に将来のためにより高等な教育を受けるように勇気づけていると話してくれました。中国卓球協会はチャンピオンたちに卓球のスーパースターの生涯を終えた後、より高等な教育を受けるよう勇気づけ援助しています。

言葉を変えて言えば、この計画は我々のスポーツに興味を持っている人々の中から、より高い能力を持った人物を育てるということです。

ところで、私とトニー・ブルックス事務局長とでロンドンでこのことについて話し合っていた時、私たちはかつて卓球はイギリスの大学で広く行われていたこと、特にITTFの初代会長は1920年代にケンブリッジ大学の学生だったことなどを思い出させられました。

8月16日、パンアメリカン大会の後、私はニューヨークへのフライトをピッツバーグ、グリーンヴィル、ワシントン経由に変更しました。アンダーソンカレッジの学長ホプキンス氏と卓球チームのコーチのクリスチャン氏に会うために私は朝6時にインディアナポリスを出発しました。(この変更にはITTFの62 US$と4時間の睡眠時間が使われました)

アメリカ卓協会長ソル・シフ氏、副会長ジョージ・ケネディ氏とクリスチャン氏によれば、アンダーソンカレッジはアメリカで唯一卓球を他のメジャーの現代スポーツ、例えばバスケットボール、アメリカンフットボール、テニスなどと同等に扱っている2年生の大学だと言うことです。

このカレッジはグリーンヴィルにあり、千人の学生を抱え、学業水準は全米の1800もあるカレッジのベストテンに入るといわれるところです。ここでかぎになっている人物はホプキンス氏で、かつては卓球の選手であり、現在はもうすぐカレッジのチームに入る17歳の子供の父です。彼は卓球に対する興味が変わることない、息子のためにだけに続いているのではないのだ、と私に言いました。

カレッジは専門的なコーチをつけ、3時間の訓練と通常の授業を供給します。また年20数回の国内の大会の参加費用も負担します。寮の宿泊と3食の食事代及び学費として学生が負担する費用は1年で7000 $です。彼らのチームは現在アメリカのカレッジチャンピオンですが、ホプキンス氏は他の大学が同様のプロジェクトに興味を持ち、結果としてアメリカの大学の競争が激しくなることを望んでいます。このほかにもジョージアとミシガンの大学に強い外国選手がいるようです。

アルゼンチンのブエノスアイレスでは、私が特別な卓球ホールと寮と体育大学(4年生)の施設の見学に招かれました。そこでは、外国からの訓練者にフリーホスピタリティーと奨学制度が設けられる可能性があります。アルゼンチン卓協会長のサビエル氏はITTFに近くこの件についてレポートするでしょう。

私は今アメリカとイギリスの大学の幾つぐらいが興味を持っているか、また彼らは何を提供しなければならないのかを知りたいと思っています。我々ITTFはどんな方向に進むべきかを研究しなければなりません。それはコーチを供給すること、選手への財政的な奨学カレッジへの財政面の援助、それとも他の何かでしょうか?我々がすべての可能性を研究した時点で私は、これについてマネジメントコミティと理事会で話し合うことを希望しています。

※スウェリングカップ方式とコービロンカップ方式

※問題点と将来

1.スウェスリングカップ方式の長所と短所

この方式の最も良い点は、3人の代表選手がお互いに対戦することです。また、最強の選手同士が対戦することも明らかです。しかし、それはその試合のだいたいの場合7番目です。

弱点はすべての試合がときには何時間もかかる点です。私たちみんなは世界・大陸・地域の選手権大会で5時間以上も続いた試合を全て想い出すことができます。このことは次のような問題を見出します

(a)テレビ放送が卓球に興味を示さない。

(b)観客が退屈する。

(c)選手が肉体的・精神的に大きな負担を強いられる。

(d)タイムテーブルを組むのが難しい。

(e)主催者に財政面で大きな負担をかける。

 

ITTF総会(BGM)は、門戸開放主義を続けていく方針のように見えます。また、将来の世界選手権では試合数は増加するものと思われます。これは主催者が次のようなものを準備しなければならないことを意味します。

(a)より多くの卓球台

(b)より大きな競技場

(c)より、長期間のホスピタリティ

さらに主催協会は以下の期待をすることになりましょう。

(a) 70~80チーム

(b) 90~100協会が個人種目に参加。

(c) 1000人以上の選手

これによって、ホスト協会が用意しなければならないものは、

(a)団体戦6~7日

(b)個人戦5~6日

(C)最小予算2~3百万ドル

けがによる棄権者の増加は今後も続くものと思われます。我々の世界選手権はパリ~ダカールラリーのようなサバイバルゲーム、生き残り競争だと言われています。これは私自身1954年にロンドンで体験しています。その時わたしは世界選手権大会の十か目に一日で37ゲームを行わなければならなかったのです。

このサバイバルゲームは卓球の伝統のようになっているとはいうものの、選手とテレビ視聴者がこの状況を好んでいないのは明らかです。選手は2年間の総決算として最高の仕事をしたいと願っています。また視聴者と観客は世界記録的なラリーを望んでいます。しかし、疲れきった選手に歴史的な仕事を期待するのは現実的とは言えません。

他のスポーツとの競争はより激しくなってきています。いろいろなスポーツイベントの主催者が観客をより良く扱うようになったので、私たちはいわばスポイルされた観客を魅惑し、主管協会の重荷をカバーするために、何千人の観客とたくさんのテレビ視聴者を魅惑するようにしなければなりません。

 

私達の競争相手である2つのスポーツ、バレーボールとバドミントンは、レシーブ側が得点するような規則が可能かどうか研究しています。バレーボールでは実験的な国際大会を15点ではなく、12点制で行ないました。これらの努力は全て観客やテレビ視聴者のニーズに応えたものです。ご記憶の方も多いと思いますが、我慢強いユーゴの観客でさえ、男子団体決勝の9番目の高島選手対中国の李選手の試合が終わる前に家に帰ってしまいました。深夜になると交通手段がなくなってしまうためです。試合は1時近くに終わりましたが、そこには数百の絶望的な観客が残っていただけです。

24台を一度に使うやり方は、主催者にとっても観客にとってもつまらないものです。ニューデリーでは準決勝を見やすくするための場所を少し余分に取るために団体戦のいくつかをプレー中に他の台へ移動しなければなりませんでした。

1989年ドルトムント、1990年千葉大会のため、私たちはテニスのようなセンターコートの概念を研究しています。これは大会の演出を改善するだけでなく「時間」の問題も解決するかもしれません

門戸開放主義と直接挑戦システムを続けることによって私たちは現在世界チャンピオンになれないような100以上の協会の選手の参加権を保護しています。違うシステム(大陸予選方式、1~4カテゴリー方式)では、彼らは政府の指示を失うことになり、結局は私たちのスポーツが多くの国で次第に死んでしまうことを意味しています。しかし同時に、20以上の協会からなるトッププレーヤーのことも考えなくてはなりません。彼らは私たちのスポーツの顔であり、財産です。

我々は、彼らを苦難から保護しなければなりません。6、7日間も早朝から深夜までかかるスウェスリング方式は彼らに対する正しい遇し方とは言えません。9時に良いスタートを切るために選手とコーチは6時に起きます。深夜に団体戦が終わると、監督は冷え切ったサンドイッチを食べたあとで「あなたたちは4時間寝られます。明日の朝はまたベストプレーをするように」と言わなければなりません。元世界チャンピオンとして、また元監督の立場から、このような状態を私自身が全く楽しみはしなかったことを言わなくてはなりません。

また、このような状態は疲れきった役員、審判、通訳、ボランティア、報道の人たちを喜ばすことではありません。

 

2.コービロンカップ方式

コービロンカップは1933年パリで始まりました。男子団体の7年後です。これは当時女子選手が少なかったことを表していて、そのためにそのようなシステムが必要だったのです。

何人かの同僚が「1人の強い選手が3点取れるシステムで、団体戦がワンマンショーになってしまう。今がシステムを変えるべき時期なのではないか」と指摘しています。

今日、たくさんの国際オープン選手権が、団体試合にこのシステムを採用していますが、これは同様な問題を生んでいます。また、この形式での試合結果が各協会の本当の強さを反映しているとは考えにくいのです。なぜなら、3人のベストメンバーがお互いに戦う必要があると我々が考えるようになってきたからです。

 

※新しいシステム

わたしがこの問題について40回以上の話し合いをした時、ほとんどの協会がITTFが実験的システムの研究を提議するならば、歓んで協力しますと私に言いました。

私は、以下のシステムについて各協会で実施し研究していただき、他にも良いものがあれば提案していただきたく思います。また、私は決して変革を急いでいないことを強く申し上げます。スウェスリング方式もコービロンカップ方式も50年の伝統と名声をもっていて、全員が十分に納得するほど良い代案でなければ、変更されるべきではないのです。

 

☆システムA

  1. A↔W
  2. B↔X
  3. AC
  4. C↔Y
  5. D↔Z

ルール:4~6人。AとBでダブルスは組めない。EとFでダブルスを組んでもよい。

    場所は自由、または1、2番手の選手は1か4に入るものとする。

長所:1試合90分くらいで終わる

   ダブルスが入ることによって景色が変わる

弱点:選手がたくさん必要

 

☆システムB

  1. A↔X
  2. B↔Y
  3. C↔Z
  4. A↔Y
  5. B↔X

ルール:5単。3人のみ

長所:ベストプレイヤーがそれぞれ対戦する

弱点:バランスが悪い。単調

 

☆システムC

  1. A↔X
  2. B↔Y
  3. AC↔XZ
  4. B↔Z
  5. C↔X

ルール:4単1複。3人のみ

長所:ひとり2度ずつ戦う。監督の戦術がより可能となる。

弱点:単複の両方が得意な選手が2人必要

 

会長:荻村伊智朗

 

※注:『OGIMURA ACTIVITY REPORT』は荻村伊智朗が国際卓球連盟会長時代に自身の支援者の方たちに送った活動報告です

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