『日本選手よ、勝ってくれ!』木村興治「卓球人」創刊号 特集「偲・荻村伊智朗」より

※「卓球人」創刊号 特集「偲・荻村伊智朗」より。1999年9月30日発行

日本選手よ、勝ってくれ! 木村興治 

「明日、6時半に起こしてくれ!」。1983年に私は国際卓球連盟(ITTF)理事になった。以来、荻村さんと少なくとも年一回のITTF理事会などの会議に一緒に参加している。夜起きOK、早起き苦手の荻村さんが、朝の時間を使い会議に備えるために起床を私に依頼するのである。私が、朝ドアをノックする。

「おはよー」といってドアを開けてくれる。しかし、殆どの場合、今起きた顔ではない。机一杯に広げた書類を前にして、ペンを走らせていた状況や、タイプを打ち考えをまとめていた様子が手にとるように分かる。昨晩、各国の仲間とワインやブランデーを片手に卓球の発展策を夜遅くまで語り合っていたのにである。

(私は眠くなり、お先に失礼しますといって、荻村さんににらまれたこともあった)

時には、持参したカセットから気持ちを和らげるような音楽が流れている。大事な会議直前の朝、仕事に集中しながらも、音楽を聴く繊細な余裕があった。責任の小さな私は、このような時と空間、荻村さんの雰囲気に触れるのがとても好きであった。

思い起こせば、選手時代に同室で、私にとって初めての世界大会(1961年・北京)を過ごし、見ていた先輩、荻村選手と何か似通ったものを感じている。その一つに、寝る前のフォアハンド、バックハンド、ショートの素振りがある。それこそ、真剣に、一球を大事にするという各百本の素振りであった。

終わると、ラケットに「明日はやるぞ」という感じで、目を集中させる。そして、「寝ようか」といってベットに入った。

世界大会の優勝経験も沢山あり、20歳代の後半に入った当時としては、まさしくベテラン選手で、当然のごとく普段の行動や言葉に余裕があった。しかし、試合にかける意気込みは最高を狙う一人の選手の姿であった。

常に前を、先を、将来を考えた行動と発言をする人であり、荻村さんから、過去の自分の経験談等を聞かされたことは余りない。余裕を持ちながらも、大事な場面では、集中し、最高の備えとする。

荻村さんは、選手そして役員の先達として、言葉とは別な行動や状況提供で私にそれらのことの大切さを伝えようとしたのだと思っている。

荻村さんは、ITTFの会長代理から1987年、会長に就任して以来、卓球を盛んにしようとしている国々への支援、トップ選手たちによる魅力的な試合の提供、彼等選手達への賞金額の拡大等を進め、卓球愛好家やTV関係者受け入れられる卓球の発展を推進することに知恵を絞り、議論し、そして動いた。まさに、全身を賭して行動する人であった。

1999年、ITTFは46歳の若い会長を選出した。彼の方針は荻村さんが唱え、発展してきた現実をその基盤に置くことであった。

しかし、会長職の忙しい中にあっても、荻村さんは、世界選手権では、日本選手の試合を見、応援することを常に思っていた。会議中に、他の人が日本語がわからないのを幸いに、私に、「試合の状況を調べ、教えてくれ」ということがあった。そして、一旦応援となると、観客席の前列で、大きな拍手と、時には、大きな声を張り上げて声援をおくっていた。

日本選手よ、勝ってくれ!これが、荻村さんの心の中に占める最大の願望であったのだと思う。

(国際卓球連盟理事、早稲田大学講師)

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