1987年(昭和62年)55歳
- ニューデリーの総会で第3代ITTF(国際卓球連盟)会長に就任(~94年)
- ITTF会長として「ACTIVEITY REPORT」を随時発行し支援者に送付
- 日本卓球協会副会長に就任(~94年)
- 「卓球発展計画プロジェクト」(座長 波岡實)の発足
- 現在の卓球のイメージアップに大きく貢献
1988年(昭和63年)56歳
- 卓球が正式種目に加わったソウル五輪でITTF会長としてサマランチ国際オリンピック委員会会長などに説明、卓球発展策の助言も受ける
- 日本初会員制卓球クラブ「ITS三鷹」設立に尽力、顧問として指導(~94年)
- 1987年と1988年の2年間で80か国を訪問
- 訪問前に次の2つの主要議題を協会に送り、それについて話し合いを行う
①貴協会から世界チャンピオンを出すためには、ITTFは共同でどのような問題を解決すべきか
②貴協会の卓球人口を倍増するためには、ITTFはどのような協力をすればよいのか
1989年(平成元年)57歳
- ジャパンオープンの創設に尽力
- 服装のカラー化(白もOK)、オレンジ球の採用、テーブルカラーの明るい色への変更などを推進
- 生涯学習審議会委員(文部省・通産省)
- 相前後して、外務省スポーツ交流審議会委員などに就任
- 「卓球教室」(成美堂)出版
- 「君も名選手になれる卓球教室」(成美堂)出版
1990年(平成2年)58歳
- ワールドオールスターサーキット(賞金付大会)の創設に尽力
- 卓球ディナーショー「ザ・卓球」の開催
- 生涯学習審議委員(文部省・通産省)
- スポーツ交流審議会委員(外務省)
- 長野冬季五輪実行委員会国際委員長
- 東京都生涯学習審議会委員
- 日本中国友好協会副会長
- 「卓球クリニック」(ヤマト卓球)出版
1991年(平成3年)59歳
- 4月1日、日本オリンピック委員会(JOC)の国際委員長に(~94年)
- 長野冬季五輪の誘致にも尽力。のち実行委員会国際委員長に
- 世界選手権千葉大会で「コリア」統一チーム実現に尽力
※世界選手権千葉大会でのサマランチIOC会長と荻村伊智朗
- 朝日スポーツ賞
- 国際ユネスコ協会フェアプレー賞を受賞(国際ユネスコ協会)
- オリンピック委員会(IOC)功労賞を受賞
- 「私のスタンディングオベーション」(日本卓球)出版
1992年(平成4年)60歳
- バルセロナ五輪で卓球責任者、スウェーデン国王・IOC会長などに説明役
- 東アジアホープス卓球大会(小学生以下の国際大会)の創設・大阪開催に尽力
- ITTFは人体に有害な溶剤を含む接着剤の使用禁止を発表
- (いったん逆戻りしたが2004年日本卓球協会(専務理事:木村興治)はドーハでのITTF理事会で「有機溶剤を含む液状接着剤の使用禁止を提案。2007年に全面禁止が決定)
- 紫綬褒章を受章
1993年(平成5年)61歳
- 地球ユース大会(20歳以下の世界大会)の実現に尽力
- 日本卓球協会の副会長兼国際競争力向上委員長(~94年)
- 「日本の千人」(指導者向け情報誌)を同委員会より発行
- 最新の世界情報を全国の熱心な指導者に送る目的で「日本の千人」発刊
- エッセイ「とんねるず効果」で93年度日本エッセイスト協会が選ぶベストエッセイ集に選ばれる。(文芸春秋)
- 「スポーツが世界をつなぐ」(岩波ジュニア新書)出版
- 南アフリカのシェリル・ロバーツが荻村伊智朗伝記「Iciro Ogimura」(榎並悦子訳)をケープタウンで出版
1994年(平成6年)
- ITTF会長在任期間中(87年~94年)に90か国以上を訪問
- 1月、第2回地球ユース卓球大会にイスラエルとパレスティナの選手が参加、対戦
- 開会式では両国の代表選手による選手宣誓が行われた。あらゆる競技で初めてのこと
- 2月、入院先から大阪へ出かけ大阪市長と会談(2001年世界卓球を大阪で開催の件)
- 12月4日、肺がんのため死去
- 日本政府から正五位が贈られる
- 日本卓球協会との合同葬(葬儀委員長=石川六郎・日卓協会長)に3千余名が参列
- 戒名、興卓院球道智尽居士。生地伊東市の松月院に眠る。62歳
1995年(平成7年)
- ユーゴスラビアの卓球人から『荻村賛歌』が贈られる
1996年(平成8年)
- 「卓球物語」(大修館書店)荻村伊智朗・藤井基男=共著
※卓球発展の背景を伝えられる本をつくりたいという荻村伊智朗の希望を藤井基男が荻村の没後に完成させた本
2002年(平成14年)
- 「世界の選手に見る卓球の戦術・技術」増補改訂版(卓球レポート)荻村伊智朗著・藤井基男監修
2006年(平成18年)
- 「荻村さんの夢」(卓球王国)藤井基男・上原久枝・織部幸治=編
※荻村伊智朗にとって「価値観を共有する友」藤井基男がUFOの会のメンバーの思いを代表して「荻村さんが達成した夢」「達成したかった夢」を書いた本。多くの人の寄付と協力でできた本である
- 「笑いを忘れた日」(卓球王国)
2007年(平成19年)
- 荻村伊智朗伝「ピンポンさん」(城島充 著)講談社
2009年(平成21年)
- 「ピンポンさん」英語版「OGI」(翻訳John Senior)講談社
2011年(平成23年)
- 「ピンポンさん」が角川書店から文庫本で発売される
現在
- 新聞・週刊誌・卓球専門誌・テレビ・映画などメディアでの登場(インタビュー・寄稿・取材等)は数知れない
- 没後二十数年経った現在でも荻村伊智朗の名前は様々なメディアに頻繁に登場する