1965年(昭和40年)34歳
世界選手権リュブリアナ大会
荻村は選手兼監督として出場
新しい指導法・練習法を導入
- 日卓協(日本卓球協会)の理事・強化対策本部ヘッドコーチに(協対ニュース)
1967年(昭和42年)35歳
第29回世界選手権 ストックホルム大会 女子代表監督
- 日卓協の理事・ヘッドコーチを辞任
- 「世界の選手に見る卓球の戦術・技術」(卓球レポート)出版
1968年(昭和43)36歳
- 貿易商社「荻村商事」を設立し社長に(~94年)
- 青卓会準会員制度発足 草の根活動開始
1969年(昭和44年)37歳
- フリーの立場で世界選手権を観戦
- 「卓球教室」(鶴書房)出版
1970年(昭和45年)38歳
- 訪中し、周恩来首相に「ピンポン外交」を提案
- 月刊「卓球ジャーナル」毎号執筆~88年まで
1971年(昭和46年)39歳
- 中国が6年ぶりに世界選手権名古屋大会に出場し、「ピンポン外交」展開
※世界選手権 名古屋大会での中国の荘則棟氏と荻村伊智朗。右は木村興治氏
1972年(昭和47年)40歳
- 日本卓球協会理事に復帰(~94年・39歳)
- 「卓球教室」(大修館書店)荻村伊智朗・藤井基男・木村興治・山中教子 共著 出版
- 「卓球 世界のプレー」講談社 出版
1973年(昭和48年)41歳
- ITTF(国際卓球連盟)理事に就任
1974年(昭和49年)42歳
- アジア選手権横浜大会の推進役
- 以後、日本で開催の各種国際大会の推進役
1975年(昭和50年)43歳
- 第1回アジア卓球・コーチセミナー(大津市)の推進役兼実務責任者
1976年(昭和51年)44歳
- 日本卓球協会創立45周年にあたり、選手としての功労により表彰される
- 「中高校生指導講座II」(卓球レポート)出版
1979年(昭和54年)47歳
- ピョンヤンの総会でITTF(国際卓球連盟)会長代理に就任
- 生涯スポーツ教室「池袋コミュニティカレッジ卓球教室」(東京池袋)でオープンから15年間指導(卓球教室の草分け)
- アラブ卓球連盟用に「アラビア語の卓球指導書」(大日本印刷)を出版
1980年(昭和55年)48歳
- 日本卓球協会 専務理事に就任(会長・高城元)
- 「卓球競技を見るための本」(同文書院)出版
1983年(昭和58年)51歳
- 世界選手権東京大会組織委の総合企画運営委員長、日本卓球協会競技力向上委員長(大会前後の期間含む)
1984(昭和59年)52歳
- アジア卓球連合の執行役員に(~94年)
- 12月13日、母77歳で死去
- 「実戦 卓球」上下(大修館書店)荻村伊智朗・藤井基男・木村興治・山中教子 共著 出版
- 「ザ・ベスト卓球」(大修館書店)出版
- 「卓球」(日本文芸社)出版
1985年(昭和60年)53歳
- 「卓球 栄光と復活へのドラマ」(ベースボールマガジン社)荻村伊智朗・監修
1986年(昭和61年)54歳
- 「卓球・勉強・卓球」(岩波ジュニア新書)出版