朝日新聞1954年4月13日「世界卓球団体戦に優勝して」荻村伊智朗

朝日新聞昭和29年4月

世界卓球団体戦に優勝して

攻撃戦法に重点‐ロンドンにて12日記‐主将 荻村伊智朗

男子団体競技の組み合わせが分った時、われわれは次のような予想をした。シェーク・ハンドにはアタック型の中欧型とディフェンス型の英仏型がありわれわれのRグループにおける強敵ハンガリー、ルーマニアは、いずれも中欧型のシェーク・ハンドである。

われわれのペン・ホルダーは守備に重点を置いては体力的にもかなわないし今度の大会には特にアタック重点のメンバーを編成した。そこでシェーク・ハンドとやるとどの相手に対してもこちらが攻撃に立つことになる。その場合は、シェーク・ハンドのなかでも守備に弱い中欧型の方がやりよい。

さていよいよ試合が始まってみるとこの予想どおりでハンガリーに対してはその弱い守備を抜いて勝った。

対ハンガリー第二試合、世界選手権者シドと冨田の一戦は第1セットで富田の打ち込みがオーバーしがちだったが第2セットから当たりが出て打ち抜くことができた。

田舛は守備を基調として攻撃力をもっている選手、つまりねばって機を見て打ってくる選手には弱い。その点、英仏型のシェーク・ハンドよりも良い結果を期待していたがシド、ホルディに2点取られた。結局この試合は冨田2点、荻村3点で打ち抜いた形となった。

決勝リーグにおいての第1戦の相手英国についてはわれわれは非常に恐れていた。しかし実際は守備一方で反撃してこないからこちらが焦らずに好球を待つ余裕があった。

この試合でも田舛がネバったが決定球がなくバーグマン、リーチに2点取られ、富田2点、荻村3点で勝った。英国選手に対する感想はバーグマンに少し衰えが見えたこと、リーチの配球にムラがあってたたきやすかったことなである。

優勝決定戦の相手チェコはハンガリーと同じタイプであり、前日英国を破った余勢でこちらは気分的にも余裕があった。しかしこの日は練習場が片付けられたため試合前に1球も練習ができず相手のチェコは午前中英国と試合して午後は休憩するという良いコンディションにあり、さらにペン・ホルダーはバットの片側で打つため疲労もあって予想以上の大苦戦をしてしまった。

富田はアンドレアディスのカットの応酬から強打するフォアのストレート・ボールに敗れた。私はじめスティベックのショートで走らされたが後半相手のフォアーにボールを集中して勝ち、さらにテレバのカットを抜き3-3で私とアンドレアディスの対戦となった。

私はバックにくる敵のショートを回り込んで強打する作戦でのぞみ、勝算があると思っていた。しかし疲労のため回り込んでも決定的な強打が打てなかった。そしてこれをフォアーに返され振り回されて負けた。これで3-4でリードされた富田対テレバ戦となった。

テレバはスティベック、アンドレアディスと違ってショートで富田を動かすことができなかったため台を離れてのロビングの打ち合いとなり、富田が打ち勝ち4-4となった。

決勝の一戦田舛対スティベックは田舛のフォアーが入らないので打ち気をさそって相手の凡打を待つ作戦に出た。ところがロビング・ボールで返そうとした田舛の球を相手がよく打ってくる。これに抜かれて接戦となった。それでも第1セット後半から相手のバックに集中、相手が回って打たねばならぬようにしたのでこれにミスが出て第1セットを取った。第2セットは後半、田舛の連続強打で一気に決勝点をあげた。

 

※編注:荻村伊智朗が世界チャンピオンになって初めての新聞寄稿

※出典:朝日新聞 昭和29年(1954年)4月13日 第24490号「世界卓球団体戦に優勝して」

※承諾番号:24-2863

※朝日新聞社に無断で転載することを禁じる

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