はじめに
■スポーツのすすめ
一流スポーツマンの美しいフォーム、超人的な技術は見る人の心をとらえる。「自分もあのように」と、大きな夢を抱き、そしてそれを実現したよろこびにひたれるのは,青少年だけに与えられた特権だ。
芸術家が画布と絵具を、楽器と指を素材として自己の凡てを、その時代を、そして全宇宙を表現しようとするように、スポーツマンは自分の肉体と競技用具とを素材として自己を表現し、人間能力の限界を、最高最美の感動を具現しようとするのだ。
老人にも卓球はできる。老人にも夢はもてる。しかし、それは自ら限界を設けた卓球であり、夢である。また、老人の卓球はそうであってもよいのだ。彼らには彼らなりに純粋に卓球の楽しみにひたる権利がある。
しかし、自分の能力と自分の努力とに無限の希望と自信を持つことのできる少年少女たち、君らが自ら限界を設けた卓球と夢に甘んじることはないのだ。
大きな志をたて、そしてそれを貫き通そう。夢を実現した大きな喜びを観る人々と共に味わえる、そんな選手になろう。
■始めたときの心を忘れないようにしよう
“愛好するが故にこれを行なう”という言葉がある。これはアマチュア・スポーツの真ずいをあらわした言葉である。
だれでも卓球を始めたときには、この純粋な動機に満ちている。だから、卓球をやるだけで大きな満足と、よろこびを得られる。この卓球という不思議な競技は、食事の時間を忘れさせるほどに初心者の心をとらえてはなさない。
私にかぎらず、一流の選手になった人達はだれでも同じような経験をもっている。みなさんもきっとそうだったろう。あるいは、今そのような状態にある人もいるかもしれない。
ところが、だんだんやっているうちに、なんとなくつまらなくなったり、心がカラッとしないような日がやってくる。中には、卓球をやることが馬鹿らしくおもえたりしてくることもある。
卓球は勝負の競技だ。無心にゲームを楽しんでいるつもりでも、心のどこかに勝敗についてのこだわりが起きる。勝っていた人に負けつづけたり、自分よりおそく卓球を始めた人に追いつかれたりすると、あせったり、イライラしたりする。
上達につれて、技術は高級になり、難しくなってゆくから、時にはスランプも訪れるだろう。入っていたボールが入らなくなっていく日か経つと、迷いが起ってくる。
卓球に夢中になっていて学期が過ぎてみたら成績が落ちていた。成績が落ちてまで卓球に打ちこむのは馬鹿らしく思える。せっかく卓球部に入ってみたら、新人なのでボール拾いと素振りばかり、時間の浪費だ、馬鹿らしい。などなど、そのほかいくらでも初めたときほど卓球に熱中できなくなる原因が、あなたの前途に待ち受けている。いや、もうそれらの問題にぶつかっている人も多いことだろう。
そういうとき、卓球を初めたときの心を想い出そう。想い出せるようだったら、君の卓球はまだ脈がある。気分転換、時間の配分、精力の善用,集中力の活用、などによって大部分の問題は切り抜けられるはずだ。
金のため、就職のため、進学のため、保健のため、と、スポーツの効用はたくさんある。だが、これらが主な目的となったとき、スポーツから得られるよろこびは少なくなってゆくことだろう。
いつでもスポーツを始めたときの心とよろこびを保ち続けられる。そんな選手に私達はなりたいものだ。
■新らしい時代の練習のために、この本を役立ててもらいたい‐登る山を決めずに歩き出すな
卓球は長い歴史を持つ競段だ。開発されるべき新技術はほとんど開発きれてきた。それでもなお、新らしい時代の練習というものがあるのだろうか。もし、古い時代の練習というものがあったのなら、新らしい時代の練習というものもあるはずだ。
こんな登山家はいないだろうが、かりに休みを利用して鹿児島の中学生が北海道の山に登ろうとしたとする。どの山に登るかも決めずに九州からテクテク歩き始めたとする。どうやら歩いて行き、歩いて帰るつもりらしい。おそらく、夏休みが終るまでに帰ることはできず、学校の成績も落ちるだろう。
卓球の選手も同じだ。自分が将来のある時機に、どのようなプレイをして全盛時代を迎えるかということを想定せずに卓球の練習を始めるのは、どの山の頂きにいつまでに立とうということを想定せずに歩き出すのと似ているのだ。
ロング中心か、カット中心か、ショート中心か、全盛時代は5年後か、10年後か。ロング中心にはそれなりのサーヴ、レシーヴがあり、カット中心のプレイにはまたそれなりのサーヴ、レシーヴがある。ロング中心のプレイといっても、フォアをできるだけ多く使って攻撃するつもりの選手もいるだろうし、バックとフォアを同じように使って試合するつもりの選手もいよう。
そういう志の方向によって、活用すべきサーヴ、レシーヴがあり、不用なサーヴ、レシーヴもある。ばくぜんと、この本に書いてある技術をみんなやってみようというのではなく、はっきりと自分の目的のために必要な部分を活用しよう。そういった態度を私は歓迎する。
1963年11月
荻村伊智朗
※協力:株式会社タマス(バラフライ/卓球レポート)