『中国の少年宮をみる』1974年5月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

中国の少年宮をみる

中国の英才教育施設、少年宮が活動を再開している。文化大革命前、荘則棟も李富栄もそれぞれ北京や上海の課外活動施設で上達したことはよく知られている。

たまたま広州市の少年宮を参観する機会があったので写真で紹介しよう。

広州のような大都市にはいくつかの区にそれぞれ一つづつの少年宮がある。一週に3回くらい、スポーツ、芸術、科学などに興味を抱く少年達が集まってきて専門家の指導を受ける。その中から、また機会のある者が市の少年宮のメンバーになる。メンバーは特に固定していないようだ。

市の少年宮には台が7台置かれ、壁には3A大会のポスターや内外の選手達の写真などが貼られてムードを出している。8才から13才ぐらい迄の少年達は、いづれもキチンとした服装で、フォームもしっかりしており、サービスも巧妙である。床はコンクリートだが、清けつな雰囲気の中で集中力のあるはりきった顔付きで2時間、3時間と黙々とボールを打ち、ゲームをする。お互いに技術的な意見の交換はしているようだが、冗談やふざけた態度はみえない。

シェイク、カット、ロング、左、右、中国型、ドライブ型、と各種の打法や戦型がいて、百花斉放(百の花がひとしく放つ=いろいろな戦型がそれぞれその長所を発揮する)方針が貫かれているのがうかがわれる。

カット打ちが、ツッツキからの速攻とパワードライブ(裏ソフト型)とにはっきりわかれすぎていてやや単調だが、スマッシュを大たんに打てることの方が攻撃の基礎づくりとしては大切なので、こうした方針でやっているのだろう、と感じた。

国家からの援助が、スポーツの課外活動には全くない現状の日本では、各地に有志による私設卓球少年宮のようなものが一つでも多く設けられることを期待しなければなるまい。

スポーツ少年団を利用することも一時期は必要だろう。学校体育館の休日開放や夜間開放なども、有志が根気づよく働きかける必要がある。

日本で卓球を盛んにしてゆくことには大勢の人の奉仕が必要だと感じた。しかも、条件に恵まれない中でやるだけに、力を合わせることと、支持し合うことが大切な条件だろう、と感じた。

1974年5月

荻村伊智朗

1974.5.中国の少年宮をみる

 

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