『世界卓球界の傾向について』1974年6月 卓球ジャーナル「発行人から」より

世界卓球界の傾向について

-これからの選手はどういう点に注意して訓練すべきか-

世界卓球界の傾向を総括してみる

74年の春のシーズンが終わったところで世界卓球界の傾向を総括してみる。74年の春ということは、ヨーロッパの卓球界にとっては74年度のシーズンが終わったということである。ヨーロッパの卓球シーズンは5~8月がシーズンオフで、9月ぐらいから新しいシーズンが始まって4月に終わる。また、アジアにとっても、アジア選手権大会が終わったところで一つの区切りがついた。次の区切りはカルカッタである、ということで、74年の春のシーズンが終わったところでの総括ということで読んでいただきたい。

 

用具制限が一つの区切り

攻撃球はスピードからスピンに変わった

59年に、それまでの卓球の長い間の伝統であった用具自由選択というルールから、表ソフトラバー4種類(木、一枚ラバー、裏ソフトラバー)の表面に用具制限が行なわれた。

そして、ソフトラバーの場合、厚さが最大4mmという制限になったときが卓球のプレイの一つの曲り角という区切りになる時期ではないかと思う。

59年以前はスポンジであれば大体7~8mm、ソフトラバーでも5~6mmという厚さでやっていた。それに、裏ソフトラバーはツヤ有りだった。というようなことから、当時の攻撃球のスピードは非常に速く、回転の変化も激しかった。その上、二枚裏ラバー、三枚裏ラバーや粒の長いラバーなど多くの用具があった。

日本だけでも、大会に300人ぐらい出場したとすれば、ラケットの異なったくみ合わせによる種類というものは何十種類もあった。こういう面で、用具の種類がずば抜けて豊富だったのは日本であり、そういう意味でもっとも技術的混乱があったのも日本だ。

そういう混乱の中から裏ソフトラバーやスポンジ、一枚裏ラバーというようなものヘ集約してゆき、混乱をつき抜けて高いレベルに達していた経験をもっているのも日本だ。

したがって、日本を中心において、卓球の用具の歴史を考えることは自然であり、必要な作業だ。日本のその時期は世界的にみても、いちばん技術的に内容が高かった。

ぶっつけサーピスも許されていたし、(50年代初期から長谷川清隆選手や長浜選手などが多用していた)攻撃球の変化とスピードは現在よりもはるかに大きかった。(編集部注:長谷川清隆選手:1954年全日本シングルス3位、サービスの名人と言われた。長浜好人選手:1954年全日本複優勝)

しかし、59年の用具制限以来、一般的に世界のトップレベルの球質は単調になり、ポールのスビードは落ちた。もともと、それを狙ったのが用具制限のルールなのだから、当然といえば当然なのだが。したがって、これに対する人間の身体の瞬間的な速い動作や、瞬間的な激しい変化をみきわめる作業が、それ迄よりは高度には要求されない傾向がでてきた。(中国が文化大革命期に入って不参加となると、このような傾向は強まり、現在もアジアで高年令層の選手が主導権を握る時期が続いている。)

 

攻撃の形態が変わった

いっぽう、攻撃の形態が変わってきた。一発で抜こうとするよりも、攻める手数を多くすること、返球時間の速いこと、打球タイミングの速いことなどに攻撃の主眼が移っていった。

そして、表ソフトラバーによる前陣攻撃が攻撃プレイの中心となっていった。攻撃の中心的要素はピッチの速さになっていった。

したがって、図で示すと、攻撃だといえるボールを打てる打球点の位置は台に近づいたといえる。それよりうしろで打つと攻撃らしくなくなってしまった。

それに対して反攻(攻撃に対して守らず逆に攻撃して返す)位置もあまりうしろからだと意味がない。台の近くでないと反攻にならないという型になっていった。これは傾向としてであって、一つ一つの具対的な個人のプレイがどうであったということではない。物理的な条件が変化すれば、それに対しての物理的な応対が変化しなければならない、という客観的な事実関係をいっている。

このために、一時、とにかく攻撃といえば台のそば、反攻といっても台のそば以外には攻撃の概念が成り立たないような時期がきた。

1974年6月

荻村伊智朗

1974.6.世界卓球の傾向について

 

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