『無記とアマ』1974年12月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

無記とアマ

アマチュアリズム

1974年10月21日~24日 オーストリアのウィーンにおいて行なわれたオリンピック総会で、オリンピック参加規定(アマチュア規定)が大幅に改定された。

その後、日本の大新聞のスポーツ欄は、それぞれ論調に多少のちがいはあるとしても、大事件が発生したかのように書きたてている。

「アマチュア精神の純血さを守れ」とか「どこへいくアマチュアリズム」とかいったような調子である。

アマチュアリズムが少しでも改定されると、あたかもスポーツが文化として退廃するかのようなとらえかたが論評の意識の底にひそんでいる、といえよう。

アマチュアリズムと社会主義国

ところで、この改定に全然関係のない人たちもいる。

たとえば社会主義国のスポーツマンである。中国もその例外ではない。中国の代表的なスポーツマンは、国を代表して中国人民の文化水準の高さを内外に示し、その結果、友好や平和をいっそう促進する役目をうけもっている“文化前線”の戦士たちであり、外交官である。国が生活を支援するのはあたり前である。

これは立派な“仕事”であって“遊び”や遊びはんぶんにやっているのではない。

これに対して、アマチュアリズムの考えかたは、はじめから、スポーツは“遊び”だと規定するところからはじまっている。お“遊び”なのだから、無償の行為でなければならないのだ、と規定する。それがヨーロッパの人類史のある時期に発生したアマチァリズムの考えかたである。

幼稚園のころから業余学校で、用具、施設ともすべて国家が支給した訓練を受け、そのコーチたちも国家から生活を補償され、そして才能をみとめられれば体育専門学校や体育大学に国費でもって進学できて、なんの経済的心配もなくスポーツが続けられる中国のスポーツマンからみれば、アマチュアアリズムのいろいろな規定などは緑の遠い別世界のできごとである、ともいえよう。

アマチュア規定の発生

もともと、アマチュア規定とは、イギリスにおいて発生したことはご存知の方も多いだろう。イギリスでスポーツの競技会が発生したことが最も多いのは、いまから100年ほどまえのイギリスの貴族社会がその基盤になっている。いわば、生活になんの間題もない人達、遊んでいても金利や地代や配当などで暮せる人達、いろいろなスポーツの競技会が発達した。

ここでは賞品やトロフィなどが出され、年とともにかなり金目のものもだされた。裕福な貴族たちが集まってスポーツを楽しむわけであるので、いまのゴルフのコンペなどよりももっとぜいたくな賞品がだされた、と考えててもおかしくはない。

ふだんはあまり働かない貴族たちの陸上競技会などに、もし毎日走りつづけるのが商売である郵便配達などが出たらどうであろうか。負けるに決まっている。そこでアマチュア規定が生まれた。

ちょうどその頃、明治維新があって近代化の道を歩んでいた日本からも嘉納治五郎(元講道館館長)をはじめとする日本体協の創始者たちがイギリスを訪問した。そして、アマチュア、プロ、という概念をおそわって帰ってきた。

日本体育協会が制定した最初のアマチュア規定には、「車夫、馬丁、郵便配達などは競技ができない」ということになっている。車夫とは、人力車の車夫のことである。

馬丁とは、馬のくつわをとって走る人たちのことである。郵便配達は、もちろん自転車やスクーターにはその頃は乗らなかった。このようにして日本にも「アマチュア規定」が誕生したのである。

アマとプロ

日本でのスポーツの発生は、イギリス型ということができる。スポーツをやり、競技会に参加する人は一般大衆ではなかった。「アマチュア規定」とは、そもそもその発生からいって、一般大衆と貴族とを区別するという性格のものであった、ともいえよう。ひたいに汗をして、足を使って働く人たちを「プロフェッショナル」とし、いやしいという概念を働く人たちにオーバーラップ(二重うつし)させたものがアマチュア規定の根本的な考えかたであった。

その後、ときとともにアマチュア規定は改定され、いまでは車夫、馬丁、郵便配達などの職業によって人を区別することばは、日本の体育協会のアマチュア規定からはなくなっているが、その根本的な精神においてはあまり変更がない、ということもできる。したがって、アマは「清く正しい美しい」もの、プロは「いやしい」ものというような考え方がいまでも日本のスポーツマンの心のどこかにこびりついていないでもない。

無記

私は最近、ある本を読んでいて仏教でいう「善、悪、無記」という言葉にぶつかった。仏教でいう、無記という言葉はよくもない、悪くもない、つまりいいことと悪いことの中間という意味のものではなく、善悪ということと次元のちがう善悪をはなれた、善とか悪とかいった観念のない世界のことだそうだ。

たとえば、仏教では「本能は無記なり」というように使うそうであるが、人間が生きていくために大切な食欲などにしても、そういうものがなければ人間が滅びてしまうのでしぜんに食べるように人間の身体ができている。

生きものを殺して食べるから悪である。植物をつみとって食べるから悪である。といったような考え方をしていれば、やはり人間としてはむずかしい、あるいはきゅうくつな世界が生まれる。人間が善、悪の二つだけに区別した世界だけにすみすぎて、無記の生活というものを忘れてきゅうくつになり、住みにくい社会にしていってはいけない。というような趣旨の話であったと思う。

無記、という言葉がはたして適当であるかどうか。あるいはその仏教の考え方があっているかどうかは別として、人間があとでつくりだした「アマ」と「プロ」という概念を考えてみると、特にその発生の歴史がわかっているだけに、私はどうもこのアマか、プロかだけに分けて、二つしかないという概念をあてはめてすべてをみることはなかなかむづかしい作業のように思う。

そういうように二つにむりやりに分けて、どちらかに属させて考えなければいけないということになるから、中国やその他のスポーツマンを「ステートアマ」というようになってくる。

10月のはじめ頃伝えられた共同通信のロイターのニュースによれば、韓国では「オリンピックの優勝者や世界選手権大会の優勝者に年金を月額5万円ほど支給する」ということになったそうである。こういうものがプロかアマかというようなめくじらをたてるようになれば、当然、その他の国のスポーツマンはプロなのか、アマなのか、というように二つのうちどちらかに属させて議論をするようなことになるであろう。

しかし、ステートアマとか認定アマだとか、あるいはプロだとか、純粋アマだとかいうように、むりやりに二つに分ける人工的な世界に人間をあてはめなくてもいいのではないか、というように私は思う。

スポーツが人間のもつ文化の一つであり、しかも、その最高のものであるとすれば、なにもピアニストやバレリーナ、画家、作家などと同じように待遇せよ、というのでもないが、スポーツが貴族や金持ちの少なくとも独占ぶつではないものであるとすれば、こんどの改正で休業補償やスポーツ奨学金などの認定があったことは、目くじらを立てて、「アマチュアリズムの堕落」などとさわぎ立てるほどのことはない。当然の改正である、といえると思う。

まだ、むしろ先日のインターハイで男女に優勝した監督生活28年間の大島先生(栃木県真岡女子高)や18年間の吉田先生(埼玉県熊谷商高)などのような人たちが日本には各種目にたくさんいる。「本人が好きだからやらしておけばいい」というようなものではないのではないかと思う。

この人たちはこの人なりに教頭になったり校長になったり、あるいは教育長になったりするような、世俗的な意味での立身出世のチャンスを自分の意志で捨て、卓球を通じての人間育成、選手育成に努力をしてきている人たちである。こういうものに対して、なにも社会がむくいないという世界のほうがむしろおかしいのではないか。

国家なり社会なりが別に正しく経済的にもむくいる道を制定することのほうが、またそういうことについて論評することのほうが、ジャーナリズムとしては今日的な問題をとらえている、といえるのではないだろうか。

1974年12月

荻村伊智朗

1974.12.「無記とアマ」1

1974.12.「無記とアマ」2

 

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