編集部注:『私のスタンディング・オベーション』は、1991年に日本卓球株式会社(ニッタク)より刊行された、荻村伊智朗による卓球評論集である。世界各国の名選手を荻村独自の視点で論じた一冊であり、その卓球哲学が凝縮された著作の一つである。
玄静和
’89年世界選手権大会混合ダブルス優勝
- 1969年10月6日、ソウル市で生まれる
- 166cm、52kg
- 9才から卓球を始め、15才の時にナショナルチームに入る
- ’86年アジアジュニア選手権大会女子シングルス優勝
- ’86年アジア大会女子団体優勝
- ’87年世界選手権大会女子ダブルス優勝
- ’88年ソウルオリンピック大会女子ダブルス優勝
- ’89年世界選手権大会混合ダブルス優勝
韓国期待のスター
玄静和の力量が試されるのは’90年代である。その意味では、梁英子がいいときに引退してくれた。
’90年代にはアジア競技大会が北京であり、’92年のバルセロナオリンピック迄は玄静和に韓国スポーツ界の熱いまなざしが注がれる。
韓国のペンホルダー卓球の中で、表ソフト型は特異な発展を遂げた。二つの理由がある。その一つは、中国に対する仮想敵としての需要。もう一つは、77年の河野満の成功による日系表ソフトスタイルへの評価。
仮想敵としての発展に最も貢献したのは男子の選手で金琦沢と金浣の両金。二人は女子の練習相手から始まって世界のスターになった。
日本でも日本卓球の黄金時代には若手選手は合宿の練習相手としてキャリアを積み、やがて、世界のトップクラスにのし上がっていったが、女子専用からは、韓国とルーマニアぐらい。ところが女子の表は事情が違う。
両金の活躍によって韓国のペン表ソフトも悪くないものだ、という評価が定まりかけた頃に玄が出現してきた。そこでダブってくるのが河野の影響。
日本ではなぜか日本の伝統といえば裏ソフトでフォアハンドのドライブ、という偏った考えが定着しているようだが、隣国の方がもっと冷静にものをみられる場合もある。
欧州のパワードライブや中国勢をなぎ倒しての河野の強さは印象に残ったに違いない。
それにしても玄静和のプレーには河野や金浣の影響は小さい。女子にはバックハンドは不向き、とでもいった考えが指導者や本人にあるとしたらもったいないことだ。
頭脳も明晰、体格にも恵まれ、スター性のある雰囲気も備えている。卓球を盛んにするスターはどこの国から出てきてもよい、資質のある人が頑張らなければならない。どんな選手でも一度出来上がってからもう一回カラを破り、もう一回壁を貫く。92年に備えて思い切った改造の好機と思うのだが。
(1989・10)
南北統一チームの機運の中で、民族の悲願の体現者としての活躍が期待されている。精神性で高いところに登り着けるタイプだから、数年は活躍が続くだろう。
※協力:日本卓球株式会社
出典:荻村伊智朗『私のスタンディング・オベーション』(1991年、日本卓球株式会社発行)















