情報をうまくつかうために
私が卓球をはじめたころにも指導書があった。卓球の月刊誌もあった。私がむさぼり読んだことはいうまでもない。いまの指導書や雑誌といちじるしくちがう点があった。それは写真が少ないことだった。
なにしろカメラの性能も低かった。レンズが暗く、F3.5がいちばん明るかった。いまのレンズはおよそその3倍から4倍も明るいものが使われている。シャッタースピードも1/1000などはなかった。1/250がせいぜい。だが、競技場の明るさがお組末なものだった。そのため、卓球の写真は1/50がシャッタースピードの限界だった。
指導書に登場する写真には屋外でとられたものが多かった。必要な光線を得るためである。フォームも実際にボールを打つのではなく、その選手が自分でベストと思うフォームをコマ止めのように一部分で止めて写してあった。
コマとコマをつなぎ合わし、そのフォームに動きとスピードをつけるのは読者の仕事だった。それは決して楽な作業ではなかった。読者は想像力を働かし、実技の裏付けをしなければならなかったからだ。
それでも、それらの写真があればあるだけ頼りになった。もっと写真があればどんなによいだろうと思ったものだ。
時移り星変わり、いまの卓球界には月刊誌が3冊もある。卓球協会も隔月刊で会報を出すことになった。月刊誌の方はグラビアページがあり、高速度の分解写真がふんだんにのっている。
世界中の選手のフォームを徴に入り細をうがって参照できるし、1960年代以降の選手であればたいていの選手の写真がたっぷり残されている。また、映画の資料も多くなってきた。
私自身も8mmを写しはじめてから長い。59年の世界選手権大会のシド対容国団の決勝以来、主要な大会の8mmを保存している。
遠征へ行くとき、お銭別をもらったりしたが、大半はフィルム現像、焼付代にバケてしまった。
これらを提供して多くの強化合宿のお役にも立て、いま日本代表で活躍中のべテラン諸君を含めて多くの選手の育つ糧に役立てることができた。この原稿を書いている日にも青卓会(私の指導している東卓加盟20年のクラブ)の少年選手が60年~70年代の映画をジャーナルの編集室に見にやってきた。私は熱心な少年選手をみながら、ふと不安にかられた。
あまりにも資料が揃いすぎると、見ただけでできるような気がしてしまったり、誤解が生じたりはしないか、ということだ。選手よりも評論家ができてしまうのではないか、という不安もある。分析連続写真、8mmなどによって、空間的なフォームはいくらでもまねができる。戦術面もいろいろと勉強することができる。しかし、それで卓球がわかってしまった気持ちになったりはしないだろうか?なんだか能率的な勉強をしたような気分になり、その他の時間を卓球には使わないのではないだろうか?私は“よく勉強しに来たな”といいたい気持ちを抑えてその少年選手にいった。
「この映画をみて、自分もやれそうな気がしてすぐに練習をしにゆくようだったら、うまくはならないぞ。この映画をみて、すぐに一時間もランニングをしよう、と思って実行するようなら見込みがある。形がまねできても、戦術が消化できる気がして、それを裏づけるスピードと力がまねできなければだめだよ。写真で写せば空間的には同じフォームでも、時間的に同じフォームがつくれるかどうか、が勝負の分かれめなんだよ」
情報がないよりはあるほうが幸せである。だが、その情報をどうつかうか、が大切だ。スポーツマンが“わかった”といえるときは“身体でやれた”ときだ。
ジャーナルの読者はすぐれた情報をスポーツマンの本筋を守りつつ活用していくことを祈りたい。
1974年10月
荻村伊智朗
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