(編注:「日本の千人」創刊号より抜粋。「日本の千人」は荻村伊智朗が日本卓球協会 国際競争力向上委員会委員長の在任中に発行した雑誌)
1994年3月12日
国際競争力向上委員長 荻村伊智朗
笹川杯 地球ユース報告書
イスラエルとパレスチナ
「スポーツマンは社会性がない」、とか、「政治音痴」とかいわれる。評論家、文化人、政治家などと面談する機会があると、一般的にそのように思われていることを感じることがある。
限られた報告書の字数の中で、数名の選手がそのことにふれ、また、自らが国際的な友情を育んだことにふれた。どんなに強くなっても、その感性を失わないでほしいと思う。
勝利を追求するがあまりに、自分の選手に自信をつけさせたいがために、相手を蔑視した発言をしたりはしたくない。
「そういう君たちは、どう闘ったのか?」という問いに対して、一つの録音テープがある。1954年、「藤井、佐藤、林が引退した今、平均年齢20歳を切るチームを送ってもロンションだ」という反対を押し切って日本卓球協会は荻村、富田、江口らの若い選手を派遣した。
男子チームは、荻村がランキング1位、富田以下は9位、10位、11位という4名だった。団体戦で接戦の後に優勝したあとのNHKインタビューで、「シドさんは」とか、「バーグマンさんに」とか、世界史に名をとどめる名選手に対して敬語を使っている。「相手は立派。でも自分は彼を倒す。その自分も立派。だけど謙虚に。」
日本の金メダル時代を支えた選手達からのメッセージとして受け取ってほしい。
コーチ・指導者の方々のなかには、「聞けわだつみの声」を読まれた方も多いと思う。平和が失われれば、前途有為の若者たちは戦場に出て行くことになる。人生を全うすれば、どんなにすばらしい貢献を社会にしたかもしれない若者たちが戦場の露と消えた。
今日、スポーツは隆盛に見えるが、平和を維持する努力無しでは砂上の楼閣にすぎない。