卓球の世界チャンピオンから学ぶ“市場創造”と“勝負のコツ”「月刊流通ビジネス」1988年8月号より

卓球の世界チャンピオンから学ぶ“市場創造”と“勝負のコツ”

多様化時代に合わせて人材を育てる

船井:最近、卓球の周辺が賑やかですね。活発に動かれているようですね。

荻村:お目に止まっておりましたか?今年はオリンピックイヤーでもありますし、何かと…。

船井:国際卓球連盟の会長になられたのはいつからですか。

荻村:昨年の2月にニューデリーで世界選手権をやりまして、その時会長選挙も行われて、選ばれたわけです

船井:日本人が国際競技連盟のトップになったのは初めてだそうですね。

荻村:柔道など日本発祥のスポーツ以外ではそういうことになります。

船井:卓球というと、日本や中国などアジアの国が強くて盛んなように思いますが、世界ではどうなんでしょうか。

荻村:国際卓球連盟には、130の国と地域が加盟しておりまして、ロンドンに本部があります。

船井:ほとんど世界中ですね。しかも本部がイギリスではお忙しいでしょう。

荻村:本部を日本に持ってきたらどうかというご意見はあるんですが、貿易摩擦が問題になっている中で強引なことで反発を買うより、私が動いたほうがいいと思っています。去年は、80ヵ国近く訪問しました。

船井:まさに世界を股に掛けたご活躍ですね。荻村さんが世界チャンピオンになられたのは…。

荻村:最初が昭和29年のウェンブレー大会です。翌年のユトレヒトでは、団体でも日本が優勝しました。

船井:世界選手権では何度も優勝されたように思いますが、全部で何回になりますか?

荻村:シングルス、ダブルス、混合ダブルスと合わせて12回です。

船井:あの頃の活躍ぶりは大変なものでしたからね。

荻村:仲間にも世界レベルの選手が揃っておりましたので、卓球国日本といわれるところまでいけたんでしょうね。

船井: 29年といえば戦後の後期で、まだ国連にも加盟していなかった時代ですから、日本中が、世界とか国際レベルで物を考えられる状態ではなかった頃ですね。

荻村:そうですね。最初イギリスに行きましたときには、戦争の後遺症でしょうね、日本に対する反発がありました。日本選手の活躍にブーイングどころか、スタンピングをされまして、かなりのものでした。

船井:そんなこともあったのですか。

荻村:孤立しますとさすがに日本人であることといいますか、ナショナルなものを意識しましたね。でも翌年に行ったときにはそんなことはなくて、ファンも随分おりました。

船井:スポーツの良さですね。ところで、あの頃に比べると今の日本の成績はいまひとつのようですし、若者の間では卓球が暗いなどといわれているようですが、イメージアップや人気回復には、金メダルを取ることが一番の早道じゃないですか。

荻村:おっしゃるとおりで、噴火山方式といっているんですが、私も卓球後進国の指導者たちにはとりあえずチャンピオンを作るようにアドバイスしてきました。日本ではそのやり方ではちょっと…。

船井:むつかしいですか。

荻村:今日ではもう無理でしょうね。というのは、私たちの頃と今とでは、練習量が違います。練習できる環境が違うといった方がいいのでしょうか

船井:世界チャンピオンは、どのくらい練習されたものなんですか?

荻村:年間に2500時間は超えていたでしょう

船井:ということは1日に約7時間ですか。

荻村:ええ、ほとんど卓球漬けになってなれたわけです。今の選手は、そうですね、トップクラスでも1200か1300時間だと思います。昔は世界選手権に出るのなら、卒業が遅れてもいいという気持ちでしたが、今はそうはいきません。遅れることによって生涯決算にどのくらい影響があるかということを本人も、親御さんも計算できるし、考えます。ですから、大学は4年で出なくてはいけないということで、スポーツに割く時間も限られます。

船井:それに豊かな時代になって、いろいろな遊びや娯楽、時間の過ごし方ができるようになった、多様化の時代の影響もあるでしょうね。

荻村:はい、条件が違いますから、かつてのやり方を今の選手に求めることはできないと思います。むしろ、先生がおっしゃった多様性の中で育んだセンスとか感性を生かす新しいタイプのスポーツマンが生まれることを期待しています。その中から金メダルを狙えるような選手も育てていかなければ、本当に強い選手は出てこないでしょう。

復旧拡大のコンセプトはニューコミニケーション

船井:そのためには、広い裾野と、卓球についての魅力的なイメージが必要ですね。

荻村:ある調査結果を見ますと、卓球をしたという人の数は決して少なくありません。1500万人が1年間に卓球をしておりまして、これはスポーツ全体でもトップクラスの数字です。

船井:それでは卓球との関わり方というか、卓球の楽しみ方の問題ですね。実際には、どんなところで卓球が盛んに行われているのですか。

荻村:学校や体育館など公共施設と職場スポーツ施設が中心になっています。

船井:商業ベースのものはどうですか。

荻村:卓球場がありますが、今は大体千といったところです。

船井:今人気のあるスポーツといえば、テニスとゴルフでしょう。どちらも、アウトドアであることと、道具や服装にこってオシャレできるという要素をもっていますね。強いだけじゃ格好良くないというんでしょうか、そんな現代の風潮に、テニスやゴルフは合っているんでしょう。

荻村:たしかに卓球は、ファッション化への対応が遅れておりまして、このたびの卓球発展計画プロジェクトもそのへんがポイントになっています。卓球が世界中の主要スポーツとして生き残っていくには、時代に適応していかなければなりません。

船井:元来、卓球は手軽に楽しめるものですから、あまり形式ばらずに自由な遊び方ができたほうがいいですね。私も卓球が好きで、腕前にもちょっと自信があるんです。テーブルの上を片付けては子供たちとやりましたよ。

荻村:楽しいですね。卓球の起源は19世紀末のフランス宮廷とか、他にもいくつか説がありますが、私の持っている資料にパリのサロンの絵がありまして、帽子にロングドレスの貴婦人が柄の長いラケットでプレーしています。その周りをグラス片手の紳士が取り巻いて…。

船井:なかなか優雅ですね。サロンスポーツだったわけですか。新しい卓球のヒントもそのへんにありそうですね。

荻村:ええ、「卓球の底辺拡大とイメージアップ」、「生涯スポーツとしての卓球の普及拡大」という視点から、卓球の新しい展開を検討してまいりまして、“ニューコミュニケーション・スポーツ”というコンセプトでウインドピンポンと新卓球を開発しました。新しい時代の空気の中で、多くの人の気持ちをつかんでいくには、やはり卓球も変わっていかなければなりません。スポーツには、金メダルや世界チャンピオンを目指すチャンピオンシップのスポーツと、ドゥスポーツ、誰もが楽しんで参加するものがあって、こちらは先ほど先生がおっしゃったように、いろいろな自由な展開ができる方がいいと思います。そういったものを提供するのが私たちの役目だと思います。

手軽で自由な楽しみ方を開発

船井:ずっとチャンピオンシップの世界でやってこられ、今その世界のトップの立場におられて、相当思い切った決断をされましたね。2つの新しい卓球と言うのは具体的には…。

荻村:新卓球は室内競技ですが、ラージボール・ルールといって、公式球より大きく軽いボールで球速を遅くし、サービスもエンドラインから50センチ以上離れたところからするようにしました。1セット9ポイント制なので、21ポイントの公式戦ほど時間がかからず、体力の消耗も少なくてすみます。

船井:お年寄りや女性向けですね。

荻村:そうですね。今年の10月、兵庫県で開催される「ねんリンピック」は厚生省主催の高齢者スポーツ大会ですが、同大会の卓球ではこのルールが適用されます。もう1つのウィンドピンポンは、もっと用具も自由で、アウトドアのコミュニケーション・スポーツとして新しい卓球のイメージリーダーになるものと考えております。昨年の日本選手権の時に発表したのですが、ペンションなどから問い合わせが多くて、手ごたえは上々です。

船井:外でできるのはいいですね。イメージも明るくなりますよ。風の影響はどうなんでしょう。

荻村:ラージボールを少し重くしますと風の影響はほとんどありません。現在の3.8センチ2.5グラムを、4.4センチ6グラムにしたので大丈夫です。日本卓球協会ではこのボールや、テーブル、ラケットの素材・色を自由にして、楽しみ方の開発を第一に考えたいと思っています。もちろんウェアやシューズは、プレイヤーが好きなように選べるファッショナブルなものがどんどん出てきて欲しいですね。

船井:市場創造の事業としての取組み方をされるわけですね。私も賛成です。民活もそうですが、私の経験からも企業のエネルギーが入った方が、こういうプロジェクトはうまく、早く進みますね。私も応援しますよ。

荻村:そういっていただくと心強いですね。

船井:ウィンドピンポンはいずれ世界中に広めていかれるということですが。

荻村:室内競技ですと場所が限定されます。発展途上国では体育館などの施設が未整備ですから、手軽に卓球をというわけには参りません。タイの卓球連盟の会長は、国会議員を務めた政財界の大物なんですが、熱心に普及に当たっていらっしゃいます。この方が「卓球ほどお金のかかるスポーツはない、国中に体育館を立てなくてはならない、いくらお金持ちでもそんなことはできない」といってコンクリートの台を開発したんです。これを公園や人の集まるところに置いています。ボールのはずみ具合いなども完璧で大変うまくできていますが、ウィンドピンポンはこういった世界中で行われている普及活動に対しても力になれると思います。

船井:世界中が期待しているといえますね。国内でも、百貨店やショッピングセンターのように人の集まる場所でテニスコートほど場所を取らずにできるので、ビジネスチャンスが多いですね。

荻村:用具、施設、それにイベントもあるでしょうから、ざっと計算しても、相当な市場規模と波及効果があります。マーケティングのわかる企業なら放っておけない話ですよ。これは…。

まず練習を重ね、基本能力を養う

船井:最近私は1つの道を極められた人たち、神業としか言いようのない力を持った方から直接お話をうかがう機会が多いのですが、皆さんに共通するのははたから見るととても理解しがたいような神業でも、根本は単純明快なわかりやすいものであること、またそのレベルに至るしっかりとしたプログラムを持っておられることです。卓球の名人達意である荻村さんにも、そのへんのことをお聞きしたいですね。荻村さんは目隠しをして卓球がおできになるという話を聞きましたが…。

荻村:それはNHKのテレビ番組の企画で20年ほど前の事ですね。話を申し込まれたときにはそんなことはとても無理だと思ったのです。でもやり始めてみて、指定したところにボールを打ってもらっているうちに、だんだん目隠しでも勘がつかめて、思ったよりうまくプレーができました。これには後日笑い話があるんです。これをご覧になった方が、「卓球の空間認識は音による」と言う研究論文を書かれまして…。

船井:それは極端な結論でしたね。卓球を始められたのは。

荻村:高校1年の時です。それまで野球をやっていたのですが、先輩たちが手作りの卓球台を作りましてね。おもしろそうだったものですから、自分もやってみようと…。

船井:それで卓球に。

荻村:その時は野球の仲間が引き留めてくれましてね。卓球の素質があるのかどうか確かめてからにしてもいいじゃないかというので、大学の選手に見てもらったんです。

船井:これは大変な逸材だと…。

荻村:いえ、それが反対なんです。どうしようもないと。

船井:それは…。よほど見る眼のなかった人ですね。将来の世界チャンピオンだというのに。

荻村:でも、それが良かったんでしょう。素質がないのなら、練習と努力で卓球の選手になろうと思ったのですから。それで都立大学に入ったのですが、そこには卓球の練習相手がいませんでした。やむなく壁打ちをやりました。壁打ちは単調な練習に見えますが、人間どうしでやるよりも球速が速くなります。このおかげで、卓球の重要な要素であるスピードへの対応力が人一倍ついたと思います。

技術を研究し、人のプレイに学ぶ。

船井:卓球が上達する要素というのは、ほかに何があるんでしょうか。

荻村:卓球に限らず、コートがあって相対する球技で優劣を決める要素となるのは、スピードと、プレースメントと、球の回転の3つです。当然、速い、強い球ほど有利です。プレースメントというのは、相手のコートのどこに入れるかということで、受けにくい返しにくいところを狙います。回転は変化があるほど、相手は受け損じる確率が高くなります。卓球の場合、回転の占めるウェイトが大きいのですが、一見ではわかりにくいので、攻撃的に回転をつけて攻めてもあのスピードでのことですから、受け側がミスしたと見られてしまいます。また、卓球は、プレーの際に技術の差が極端に出てしまうことがあります。卓球の普及拡大プロジェクトで、球を大きくしたのは、専門技術からいいますと、そういった点の解消を図っているわけです。

船井:なるほど、よくわかりました。

荻村:日大に移ってからは、練習相手には恵まれましたが、卓球台が15人に1台しかなかったものですから、なかなか自分の番が回ってきません。勝ち抜きで交代していきまして、負けたら長い時間待たされました。

船井:練習といえども簡単に負けるわけにはいかない。自然に勝ちぐせがつきますね。

荻村:待っている間、見取り稽古と言いまして、人のプレーを、配球や作戦などを予測したりしながら見ているのです。これも大事な練習の1つですが、待ち時間があまりにも長いものですから、もっと有効に時間を使えないかと考えました。

船井:何か特別なことをされた…。

相手の性格を知り戦略を立てる

荻村:当時、飯田橋にありました易の学校に通ったんです。卓球は、つまるところ一対一の人間同士の勝負ですから、相手の性格とか人間性を知った方が有利だろう。人間の研究だと思いまして…。

船井:これはおもしろい話ですね。あの活躍の背景に「易」があったとは驚きました。

荻村:国際試合では、事前に相手の情報があまり入らないですから、自分よりもはるかに大きな選手なんかとても強そうに見えます。しかしその選手の表情に、ちょっとした気の優しさが見えたりしますと、この選手は、土壇場の競り合いには弱いなというわけで、ゲームの作戦を立てたり、勝てるという自己暗示にもなりました。

船井:私は、これまでの経験、船井流経営法といわれているものを「ベイシック経営」という本にまとめて、それに成功の基本は「鈍、根、信、仲間」であると書きました。それは、荻村さんの世界チャンピオンへの過程と相通じるように思います。きょうは楽しいお話をありがとうございました。

荻村:こちらこそ、ありがとうございました。

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出典:株式会社船井総合研究所「月刊流通ビジネス」1988年8月号

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