青卓会 新会報No.5 1986年11月6日 荻村伊智朗

今年は日中スポーツ交流30周年記念の年です。私は日本体協代表団の一員として北京マラソンの行われた10月19日、北京を訪問しました。マラソンの好記録は寒い気候と小雨に助けられたとのことで、よいコンディションといっても、いろいろあるものだと思いました。

日中スポーツの歴史は卓球交流の歴史といっても過言ではありません。

1956年、中国卓球代表団が東京での第23回世界選手権に参加したのが始まりです。その前に長崎で中国の国旗を暴漢が汚す事件があって、日中両国の関係は冷えきってしまいましたが、卓球はその空気をときほぐしました。

60年代の日中交流は多勢の卓球ファンを卓球会場にひきつけました。66年に文化革命が中国ではじまると、日中交流も中断しましたが、青卓会会員の荻村、鍵本、古川の3名が1970年秋に北京を訪れて、1万8千人の大観衆で埋まった北京首都体育館で、荘則棟、李富栄、徐寅生などと試合を行い、翌年の名古屋でのピンポン外交の展開への道を拓きました。

80年代に入ると、青卓会は日中卓研の行事に参加し、岑、楊の2人のコーチから2年間のコーチングを受けました。これにより中国式訓練法について、数多くのノウハウを学ぶことができました。

11月~3日には北京から東北福祉大学に留学中の楊玉華さんを招き、全日本団体戦に備えた合宿を行います。岑さんの御子息も、そういえば留学生として来日され、いま吉祥寺に下宿しておられますが、毎月1回は青卓会のメンバーと会うようになっています。

日中スポーツ交流の中核、卓球交流はこれからの30年も発展するでしょう。青卓会もその中でしっかり役割を果たしたいものです。

ー荻村伊智朗ー

青卓会新会報ナンバー5

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