OGIMURA ACTIVITY REPORT 1991 Dec. No.12 南アフリカ

※編集者注:『OGIMURA ACTIVITY REPORT』は荻村伊智朗が国際卓球連盟会長時代(1987年~1994年)に自身の支援者たちに送った活動報告

6.南アフリカ

1月に南アのヨハネスブルグに行きました。

ITTFのハマランド会長代理(スエーデン)、セグン副会長(ナイジェリア)が同行しました。

1950年に国際卓球連盟に加盟した南ア卓球ボードは非人種主義を標榜する組織でした。1957年、ストックホルム世界選手権大会にボードが参加しました。田中利明君と私が決勝を争った大会です。

南ア政府はこの参加を好まず、以後、白人のみの組織が国際試合に参加するようにしむけました。南ア卓球ユニオンという組織をボードに代えて国際卓球連盟に加盟させるよう働きかけも行われました。しかし、初代会長モンターギュのリーダーシップで、国際卓球連盟はこれを拒否し、ボードが加盟しつづけることになりました。

この事件以来、南アでは卓球組織がアパルトヘイト反対運動の先頭を行くことになりました。

これより遅れること20年、国連やIOC(編注:国際オリンピック委員会)がアパルトヘイト政策への反対運動に加わりました。

南アの卓球組織を先頭にして、スポーツ組織が「南アのスポーツを国際交流から締め出すべきだ。」という運動を始めました。これにアフリカ閣僚会議が賛同しました。五輪ボイコットも辞さない、との強いアフリカ諸国の態度がIOCを動かしたといえます。

IOCは、やがて国連と共に、南アの資格停止、各国際スポーツ連盟からの追放または資格停止のリーダーシップを取るようになり、アパルトヘイト反対運動の旗手になります。

ここで変わっていたのは、またも卓球。卓球は、もともと反アパルトヘイトの組織であったことを理由に、南アボードの資格停止をせず、会員として交信し続けた唯一のIF(※編注:国際競技連盟)でありつづけました。国際卓球連盟は結果として一種の孤立状態を招いたともいえます。

ラグビーやゴルフなど、幾つかのスポーツは白人組織との交流を続行していましたが、昨今は自粛するようになっていました。

揺さぶりは卓球にもありました。オーストリアやイングランドの選手たちを一本釣りし、南アで卓球招待大会が行われました。ITTFは70年代にオーストリア協会を除名寸前迄追い込み、同協会も非を認めて、選手を数年間の出場禁止処分にしました。

イングランドの場合は複雑巧妙で、引退して、メンバーでない選手ばかりが一本釣りされ、同協会は「非メンバー宜言」をITTFに提出し、制裁を免れました。

このような経過があったから、私は南ア選手を千葉大会に無理に出そうとは思わなかったのです。

南アの役員は、ドルトムント大会に引き続き、参加しました。かれらもプレーヤーです。ラケットを持って、歴史的な国際舞台初登場選手になりたくないわけはなかったでしょう。でも、彼らもそれをしませんでした。

一方で、国際陸連は世界陸上に南アの選手の出場を勧誘していました。「気持ちは分かるが、出ないだろうな」と思っていました。この時点では無理だったのです。

ヨハネスブルグで、旧ボードと旧ユニオンの合同した、新ボードの結成大会に出席しました。40年以上にわたって激しく対立してきたであろう二つの組織の卓球役員達の意気投合した大会運営に感激しました。宿舎手配やホスピタリティー、交通の手配は旧ボード役員団が受持ち、競技運営は主として旧ボードが受け持っていました。

大会初日に、南アオリンピック委員会やANCの臨席の上、ITTFが証人として、新組織の憲章の署名式が行われました。

忘れえぬ人、先覚者モンタギュー

私の尊敬するヒューマニストであり、何よりも卓球愛好者だった故モンターギュ会長(スエスリング伯爵夫人の子息)の英断から42年後の成果でした。

私は、この件で、組織の政策の継続性の大切さを痛感しています。

しかし、どうすれば、孤立しても40年後に正しいことが立証される政策を決断し、持続できるのでしょうか。

いま私が自分に向かって解説できることは、「人間を判断の基礎に置け。」ということです。モンタギューが残したコンセプト、「国が加盟員ではない、協会だ。アマもプロもない、プレーヤーが先ずあるのだ。」彼は言葉を残しませんでしたが、ある行動を私の前でしました。。

56年の東京世界選手権大会の時のことです。イングランドチームの試合をベンチの側で見ていたモンターギュ会長は、リーチ選手だったか、ロー選手だったかが「水が欲しい」というのを受けて、走ってコップに水を汲みにいきました。

帰ってきたとき、フロアに敷かれたキャンバスに足を取られ、危うく転びそうになりました。水を零さずに、晴れやかな顔つきでコップを選手に渡す会長の顔が瞼に残っています。そのとき、私は選手で優勝を狙って集中していました。後に私が会長になるなどとは思ってもみなかった時のことですが、「西洋の会長って、ずいぶん軽々しく動くもんだな。」という感想と、「選手を大事に思っているんだな。」「あんまり身分の上下感覚がないんだな。」などを一瞬感じました。

「役員は偉い。」という感覚がなかったのだと思います。

いろいろなことを考えさせてもらった南ア行きでしたが、「57年以来、35年間の忍耐を顕奨するため、男女各1名のバルセロナ五輪出場権を国際卓球連盟枠で与えるこを検討する」と、閉会式のときに挨拶させてもらいました。「南アの新しい団結と融和のために使ってもらう、ことを強く希望する」とも付け加えさせてもらいました。

結果として、旧ボードと旧ユニオンの両方から1名ずつ、白人男性とカラード女性という組み合わせになりました。

男女二人の選手は、7月9日まで日本各地で修行、日本卓球協会、富士市、川崎製鉄、東山高校、中京女子大学、上宮高校、十六銀行、ナショナルチーム、松本卓連、松商学園、東北福祉大学、ITS、東京大学、楢川村などにお世話を頂き、練習を積み、日ア親善に努めました。二人とも、明日の南ア卓球界を背負って立つ優れた人材です。

ドーピング事件

ところで、五輪開幕をあと10日ほどに控えた7月13日の夜、岸体育館で会議中の私に会長のヴァウダ氏から電話が入りました。ロバーツ選手がケープタウンの病院で貰って飲んだ風邪薬のため、ドーピング検査が陽性反応だったために代表を外すとのことです。私は、「過去にもそのような例があり、日本のスポーツ選手でもメダルが剥奪され、その後回復した。本人も医者も無知なための事例であれば、NOCに対し、再考を訴えるべきだ。しかし、派遣の是非は、NOCの最終判断に任せるべきだ。」と回答しました。

30数年のブランクからくる医者や選手の経験不足が、ロバーツを直撃したといえます。

これにより、彼女の指導者としてのキャリアにはハンディキャップが付くと思いますが、せっかく応援してくださった大勢の日本の人達の好意に応えるためにも、乗り越えて、立派な指導者に成長して欲しいと思っています。

と、書いておりましたら、7月17日の逆転決定の通知が入りました。NOCが本人、医師、卓球協会との長時間の聴間の末、資格回復を決定し、ロバーツはバルセロナオリンピック大会に参加できることになりました。

NOC会長も、卓球ボード会長も有色人種です。それだけに、有色(カラード)のロバーツ選手の資格回復については、極めて慎重に問題を扱ったと想像しています。

各人種の融和の一助にも役立ててほしいという願いからワイルドカードを配分したわけですから、”無理な回復をした結果、内部緊張が高まるようならば失格もやむなし”と、一部のメディアの取材にはお答えしました。

 

国際卓球連盟は、6月、卓球大使として、千葉大会の世界ダブルスチャンピオンの二人を南アに派遣しました。ヨハネスブルグ、ダーバン、ケープタウンなど4都市を回り、試合とコーチを行いました。国際卓球連盟加盟後42年にして、始めて現役の世界チャンピオンを迎え、南ア卓球ファンは各地で熱狂的な歓迎をしてくれたそうです。

南アでの政治統合の動きは難題が山積しています。デクラーク大統領と、マンデラ議長とが政治舞台の主役です。両者とも、歴史的な和解という方向を選択したために、かえって、出自とする層から反発があります。

現地駐在の通信社記者氏から聞いたことですが、いま、政治を引っ張っているのがスポーツだそうです。IOCのイニシャチブによる五輪復帰が、地域、市町村に至るまでのスポーツ組織の融和と統合を進めています。「その中で、卓球は重要な役割を果たしている」と、来日したロバーツさんとボタさんは言っています。

 

※編集者注:OGIMURA ACTIVITY REPORT 1991 Dec. より抜粋。

ACTIVITY REPORT 1991-12表紙

ACTIVITY REPORT 1991-12南アフリカ1

ACTIVITY REPORT 1991-12南アフリカ2

ACTIVITY REPORT 1991-12南アフリカ3

モンタギュー会長

※国際卓球連盟創設者のアイボア・モンタギュー(Ivor Montagu)会長。初代会長として41年間、類まれなリーダーシップで世界の卓球界を牽引した)

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