世界選手権大会の毎年開催を
卓球はいま、中国の活躍で“もって”いる。“アメリカだけは、決して卓球をメジャースポーツとして扱うまい”と、アメリカの選手さえが確信を持って言うが、そのアメリカだって、中国の荘則棟団長以下の活躍で1920年代のピンポンクレイジー時代を再現しないとも限らない。国連も議場で中国チームの卓球試合を開催することを希望しているとか。
中国のこうした活躍に引き立てられて、卓球が人の口の端にのぼり続けているうちに、私達は競技自体の力をさらにつけ、発展を計る努力をしなければならない。その一つの方法として、形式に工夫がいるかもしれないが世界選手権大会の毎年開催が考えられる。
世界選手権大会は、1927年にロンドンで初めて開催されてから1957年までは、大戦による中断期を除いて、毎年開催されてきた。しかし、わが日本の提案が通って、1957年以後は隔年開催になり、奇数年に開催されてきた。この提案の背後には次のような事情があった。
1 経済的事情から、各国の負担を少なくするため
1940年代までの世界選手権は主として欧州勢だけで行なわれていた。1952年に日本が参加して以来、日本の参加をみない大会は世界選手権大会としての権威が薄らぐものになった。
日本は、1952年のボムベイには選手団を初めて送ったが、以後は財政的に逼迫し、1954年のロンドン大会には各選手に参加費用1人当り80万円の全額負担を求めた。アジアでの開催が定例化すると、西側の各国にも参加できない国が増える、との判断が日本の提案が通る大きな原因になった。
2 政治的な理由による開催地難から
周知のように、1967年に予定されていたオーストラリアが辞退し、急きょストックホルムに変更されるなど、最近まで東西の緊張は激化する一方で、政治的な理由による開催地難は募る一方だった。
情勢は変わった
しかし、いまや情勢は変わった、といわざるを得ない。20年前の飛行機運賃はほとんど変わっていない珍しい“物価”の一つである。各国の国民総生産は程度の差こそあれ、かなり伸び、各国協会の予算も20年間に大いに伸びた。国家が負担するにせよ、任意団体が負担するにせよ、航空運賃が理由でハンガリーや日本のような強いチームが不参加という事態は生じそうにない。
また、政治情勢も予断や油断を許さないとはいえ、中国チームが訪米し、アメリカチームが訪中するという象徴的なできごとが示すように、大いに進展した。伝え聞くところによれば、中国卓球チームは今年36カ国以上を訪問する予定があるという。
狭い立場で日本の事情をみても、いまや卓球協会の年間予算は3000万円になろうとし、かつての数倍である。体協からの遠征費の補助もある。
いくつかの技術的な問題はあるが
世界選手権のない年に行なわれるようになった欧州選手権や問題のアジア選手権をどうするか、という問題もある。
紙数の関係で多くを語れないが、解決方法はいくらでもあるはず。
外国雑誌が伝えるように、1973年サラエボ(ユーゴ)、1975年モスクワ(ソ連)、1977年インド、1979年ロンドン、1981年アメリカ、1983年北京とでもいうオプションや先願権が認められることになれば、「アジアは3回に1回」という申し合わせが生きているとすれば、日本に次の世界選手権大会が回ってくるのは1989年以降となり、いまから12年も待たなければならない。
真剣に考えてよい問題だと思うが、どうだろうか。
1972年3月
荻村伊智朗
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