『天才プレイヤー三条件』1973年8月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

天才プレイヤー三条件

インターハイの会場で私に「どうですか、いい選手がいますか」と聞いた人がいた。私は「長谷川、河野クラスならね」と答えた。その人が冗談だろう、と思ったかどうかは私にはわからないが、少なくとも私は真面目に答えたつもりだ。

私の手元に昭和39年の高校優秀選手の合宿を指導したメモがある。

このとき全国から16人の高校生が集まった中で、男子長谷川君は16人中の10番目。女子で先のサラエボで唯一のタイトルを日本にもたらした浜田君は16人中の14番目ぐらいの成績であった。

この当時、だれも長谷川選手や浜田選手を世界選手権で優勝する素材だとは思わなかったし、言いもしなかった。私がこの選手たちに見どころがあると感じたのは、二人とも卓球が好きで練習が好きだということであった。これは河野君や鍵本君にしても同じであった。

私は1959年に初めて外国のコーチをした。スウェーデンである。当時のスウェーデンは体力トレーニングはおろか、体操もしない選手がほとんどだった。そこへ私流の、ハードトレーニングを持ちこんだのだから拒絶反応が起こるのは当然で、ランキング二位の選手などは、初めての合宿の第1日目でサッサと荷物をまとめて帰ってしまったぐらいだ。

このとき、ただ一人黙々として私の指導に従って練習計画を消化した選手が、後のヨーロッパ選手権3回優勝、ダブルス世界選手権2回優勝のアルセア君であった。

当時のスウェーデンの指導者のかなり多くの人達、シド、バルナ、アンドレアディスなどの有名な外国指導者達も、「アルセアは素質がないから指導をしても意味がないよ。大したモノにはなるまい」と、忠告をしてくれた。

しかし、私に一つの信念があった。それは私の体験を通してたしかめたものでもあった。その信念というのは、天才的な選手としての業績をあげるには三つの条件があればよい、ということである。

私は世界選手権各種目に12回の優勝をとげ、世界の卓球史の中でも優勝回数は多い選手に属している。何百万、何千万の卓球選手の中で数本の指に入る優勝記録を保持しているのだから、見方によっては天才的な業績といえるかもしれない。しかし、私は自分自身で考えてみても、決して卓球の天才だとは思っていないし、卓球しかやれたかったとも思っていない。

ただ、卓球が好きでたまらず長い年月を卓球に集中した。その結果だ、と思う。

「しかし、全然素質がなかったわけではないだろう」と、人はいうだろう。私自身、卓球を始めるにあたっては知人のすすめもあって、素質を人に診断してもらったことがあった。

その人の御託宜「君は素質がないから卓球はやめた方がいい」ということであった。そのときに私がよりどころにしたのは素質とは何か、いうことについて報告されたアメリカのプロ野球年鑑中の記事である。

最近のアメリカのホームランバッターアーロンズが、ベーブルースの生涯ホームラン記録を破るかという話題があるが、ベーブルース、タイカップ、ゲーリックなど野球史上に不減の名前を残した天才的な野球選手が数名いる。この人達と同じような業績をあげるだけの力をもつのには、どの程度の才能が必要であるか、という調査分析の報告がこの年鑑でされているのだ。

ベーブルース、タイカップ、ゲーリックなどの天才的な選手となるために三つの条件が必要だ、とアメリカプロ野球の総力を傾けた調査結果は述べている。

その一つはナイフやフォークを使って食事ができること。

その二つはふつうに歩行ができること。

その三はふつうに会話ができること。

である。

「いったいこれはナンだ」と読者は思うかもしれない。私も初めはそう思った。もちろんこれには解説がある。

第一の条件の解説はこうだ。ふつうにナイフやフォークを使う。ということは器用さ、巧微性を示している。ナイフやフォークを使って食事ができるというだけの器用さ、巧緻性があるということが基本的な条件である。という意味だ。そしてそれ以上のものは要求されていないのだ。

第二番目の条件であるふつうに歩けるということは、基礎体力を物語っている。ふつうに歩きまわれるということは、少なくとも片足が不自由ではないということ。あるいはどこかに欠陥がないということである。それが基本的な唯一の条件だ、というのだ。

第三のふつうに会話ができることというのは、相手のいうことを理解でき、自分の思うことを言葉を通じて発表できるだけの智能というか、インテリジェンスがあるということである。これが絶対的に必要な智能水準の条件だ、というのだ。

「本当にそれだけでいいのか?」と思うだろう。本当にそれだけでいいのだ。生まれてから備えている資質というか、天から授かった才能といえばそれだけの条件が備わっていればいいのだ。と、アメリカの学者たちは最終結論を出したのである。

そして、後は適切な刺激が反復して与えられさえすれば、そして本人が継続的に誠実な努力を続けさえすれば、必ずゲーリック、タイカップ、ベーブルースなどと同じ水準に達するのだ、という。

もちろん、これには本人がそう気づくまで(幼年時代からその気づいた時点まで)の生活態度が多少は関係する。

たとえば、それまで食生活には全然気を配らなかった人であれば、おそらく体格は貧弱であろう。あるいは体質もそれほど強いものではないかもしれない。幸いにして親から良い体格を受け継ぎあるいは体質も良好である場合にはそれだけ良いスタートをきれるということである。

しかし、スタートをきってから後はまったく条件は一緒だ。そこから後、スポーツ生活を仮りに10年やれるとすれば、10年後の体格は完全に自分がつくり出したものである。人の細胞は10年たつとまったく一新する。

したがって10年前に計画した食生活や体力トレーニングなどの成果は10年後の自分の身体である。“終わりよければすべて良し”という。

10年卓球をやるのであれば、10年後が最もすぐれた水準になっているべきである。10年後のための計画を今からやる決心がついて、実行力のある人であれば、必ず私やあるいは、その他の世界チャンピオン級の選手たちと同じような水準に達することはだれにでもできるはずである。

必要なのは稀に見る素算ではない

私はこのような考え方を持っていたので、私自身の選手生活もそうした信念に基いて律した。そして私が世界最高の水準の卓球プレイができることを自身立証もしたし、またアルセア、ヨハンソン、べンクソン、長谷川、その他大勢の選手の指導を通じてこれらのことも実証してきた。

だから、私がある人の質問に答えて「長谷川、河野クラスなら」といったのは決して長谷川君や河野君に対する侮辱でもなく、私自身やベンクソン選手を卑下したことばでもない。実際、伊勢市で行なわれたインターハイには、男女ともすぐれた素材はそんなにいなかったかもしれない。しかし大切なのは稀にみる素材ではなく稀にみる努力である。

天才には先にあげた三つの条件が先天的に備わっているだけで十分なのだ。くり返していうが大切なのは稀にみる努力である。

1973年8月

荻村伊智朗

1973.8.天才プレイヤー三条件

 

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