国際卓球連盟の会長代理
故後藤鉀二会長は、日本の卓球が役員活動の面でも世界の卓球界に大いに貢献できる、と信じておられた。自ら副会長に立候補すること二度。二度とも敗れたが三度目の役員立候補で副会長を通りこして会長代理に就任された。やっとこれから会長代理として大いに腕を振るおうとするやさきに急逝されたが、さぞかし残念であったことであろう。
このたび城戸尚夫日本卓球協会副会長が中国その他の国の推せんにより、故後藤氏の死去にともない空席になっていた会長代理に立候補され、サラエボのITTF総会においてみごと当選されたが、これには宋中中国代表も指摘されていたように、故人の偉徳が大きく作用したものと考えなければなるまい。
城戸ITTF会長代理は1952年に日本が初めて世界選手権大会に出場したチームの団長であり、アジア卓球連合の創立にも後藤会長の遺志を継いで大いに努力した国際人である。
日本の卓球界は永野重雄氏を会長にいただき、副会長に山本弥一郎、竹原茂雄、高城元、後藤淳と多士済々であり、そのほかアジア卓球連合の会長に川上理三副会長が就任している。
国際卓連会長代理というと名前の方は厚味を感じさせるが、中味はこれから魂を入れてゆくところであろう。
77才ながらますます元気盛んな城戸副会長が、名実共に世界の卓球界の主柱となって貢献できるよう強力な支援体制のとれる日本卓球界にしてゆきたいものである。
卓球ニッポンのカタストロフィー
あれほど栄えたメソポタミアの文明が滅びたのは、チグリス・ユーフラテスの上流の山や丘の草を、羊の群が長い年月に喰い荒らし、土砂の流入が灌漑をすっかりダメにしてしまったからだと確信をもっていう学者がいる。
いや、地球上の凡ての文明が滅びたのは農業が滅びたときで、それは急激な人口流入を支えるための土地の収奪がひどすぎることによって起こったのだ、と、もっと確信をもっていう学者もいる。
土砂崩れでもそうだが、崩れは突然起こるように見える。崩れはじめたら止まらない。最近、“カタストロフィー”(破滅)の理論というものがクローズアップされているとかきく。
池に生物が住んでいる。陽が当たることによってその池に住む生命が支えられている。もし陽が当たらなくなったら生物は死滅する。この池に蓮がある。この蓮は一日で2倍になる。大きな池だから、一株の蓮が倍になっても目立たない。しかし、池の半分を掩うようになれば、だれの目にもはっきりとカタストロフィーの兆候がわかる。しかし、そのときは、池が掩いつくされるまでに一日しかないときなのだ。文明の滅亡が、はっきりと人の目に危機としてうつったときには、もはや手おくれの時期なのだそうだ。
さて、日本卓球は、まさにカタストロフィー的な敗北を味わった。一種目でもとれば、文化勲章をもらえる国もあれば、半種目だと寄ってたかって袋だたきにされる国もある。伝統のなせる業であろう。
私は、日本の卓球にカタストロフィーが訪れる危機にあることをこの10年余り訴えてきた。1965年から1967年までの3年間、日卓協内部に強化対策本部をつくって、67年には中国不在とはいえ、6種目に優勝した。今回団体とダブルスに優勝し、男子シングルスで2位になった。
ヨハンソンなどもそのときの優勝候補だった。そういう人達を当時の日本は押さえてきたが、しかし、日本の実情からいって、勝っているときはこのような組織は各セクトにとっては無用の長物だった。
そして日卓協は自ら組織的な強化策を放棄した形で、強対を解散し、各セクトの自主的強化にたよった。そして、今日の結果である。
さて、今後、日本の卓球はどう歩むか?強化は卓球協会としてやるべきなのかどうか?そのあたりから問い直してみる必要があるだろう。
1973年4月
荻村伊智朗
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