六月はバラの季節
日中交歓大会が華々しく開幕した。サラエボでの熱戦のあとをうけ、男女共第一戦は熱戦がくりひろげられ、全国にテレビ中継された。そして男子では日本が5-3の逆転勝ち、女子は中国が3-2の逆転勝ちを、それぞれ記録した。
試合内容はいずれも高度なもので日中双方共、お互いに手の内を知りつくした対戦相手でもあり、サーブレシーブ、スマッシュと、すべてを出しつくしたような戦いがあった。世界チャンピオンの郗恩庭と胡玉蘭が、それそれ2点ずつ失ったが、相性と実力と過去の対戦成績からみてもいたしかたない。というのは、今の世界卓球界のトップレベルの実力は接近しており、世界チャンピオンといえども、苦手がいるということもいえる。
健闘した日本の男女チームは、メンバーを見ると、ある意味では新鮮味のないメンバーでもあるわけだが、このメンバーが十分に中国と対等、あるいはそれ以上の力を発揮して戦ったということはサラエボの大熱戦を見ていない人たちにとっても、日本の卓球の力というものがどのへんにあるか、ということを認識できるよい機会であったと思われる。
しかしながら、仮りにこの対抗戦で日本が第一戦のような調子で健闘を続け、中国と互角の対戦成績を残したところで、日本の卓球界の黄金時代再建の道がそのまま固まったとはいえない。これは日本にとっても中国にとっても同じである。
たとえば中国の男子チームの場合、日本の男子チームより平均年令は3~4才高い。このことを一つとってみても、中国にとっても若手の育成が急務であることは依然変わりがない。
日本にとっても中国チームよりは若いとはいいながら、ヨーロッパのチームと比べた場合、数才の年令差を感じないわけにはいかない。したがって、両国の急務はともに若返りであり、日本としてだけを考えてみても、是が非でもやりとげなければならない問題がそこにある。
しかしここで日本のベテランが健在ぶりを示していることは日本の若手にとっても非常に良いことである。
かつて1965年の第28回リュブリアーナ大会が終ったあと強化対策本部が出発し一時は引退を考えた木村以下のべテラン選手がここでふみとどまり、長谷川、河野、田阪、などの現在の第一線級選手の高校生時代に積極的に強化合宿などで胸を貸し、彼らの育成を早めたことは卓球人の記憶にも新しいことである。
この結果10代の第一線クラスが急激に伸び、若いチームがベテランチームにかわって、世界選手権大会で7種目中6種目優勝、と史上最高の成績を収めたこともまた読者の記憶には鮮やかなことと思う。
今回第一戦で健闘した長谷川以下の年令を考えてみると、かつての高校生長谷川、河野の成長に手助けをした木村ら以上の年令になっていることに気がつくだろう。
私自身、日本卓球協会の技術関係に5年ぶりにカムバックしてみて驚いたことは、自分が7、8年前に強化合宿で指導をした高校生選手がまだ男女のトップレベルにいつづけ、その間彼らを凌駕する選手が1人も出てこなかったという事実である。
この5年間の強化策の是非をここでは問うつもりはないが、とにかく今やらなければならないことは、これらベテランが健在なうちに若手を育てることである。それによって再び良い歴史をくり返すことができるのではないだろうか。
幸いにしてサラエボ以後の長谷川、河野、大関、浜田を頂点とするベテラン選手達は、6月15日付朝日新聞の第一戦の戦評の中にも「後輩が育つまではがんばる」(長谷川選手談)とあるように自分達が若い芽が育つためのツギ木の根になろう、という決心をしてこの日中交歓大会を戦っている。
彼らが第一線の力を保持している間に、昨年来育ってきた若い芽、すなわち高島、横田、久世、枝野をはじめとする数多くの新人選手が育たなければいけない。その他、高校には阿部、天野などを頂点とする若い芽がたくさんいる。これらの人達が現在の卓球界のおかれた立場やベテラン選手の意気込みをよく理解して、思い切って卓球に打ち込み、ベテラン選手の経験のあるしっかりした根と株の上に、若々しい美しい花を咲かすように努力することを期待する。
ちょうど6月はバラの季節、ツギ木の季節である。このようなときに日中交歓大会がひらかれそして卓球日本の若い芽をつぐきっかけが生まれたことを読者とともによろこび、将来を期待したい。
1973年6月
荻村伊智朗
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