『新アマ規定の制定』『世界選手権大会に集まるOB達』1973年3月 卓球ジャーナル「発行人から」より

新アマ規定の制定

卓球協会の新しいアマ規定が全国評議員の郵便投票によって採択された。卓球協会が3月18日の定例評議員会で発表したところによると、投票権数は68票、うち有効投票数は66票、そのうち賛成が64票、反対2票であった。

この新規定は3月上旬に行なわれた日本体育協会アマチュア委員会において承認され、発効した。

新アマ規定が旧規定とちがう主な点は、卓球用品業界関係者に対する会員基本権上の差別をなくしたことである。役員にせよ、選手にせよ、会員としての基本的人権はメーカーであろうと、非メーカーであろうと平等である。という新規定の理念が圧倒的多数の評議員によって支持され、“武士と町人的”な差別観や、メーカー関係の役員や選手を非人、下人的にみようとする身分社会的観念が圧倒的に否定されたことは、現在の日本での卓球の発展のためにけっこうなことである。

国際オリンピック運動は、たとえば中国の代表権問題で重大な内政干渉をくりかえし、南アやローデシアの問題で多数の国民から非難され、数々の矛盾に直面している。郵便配達、車夫、馬丁はアマチュアでない、とした最初のアマチュア規定から端を発して、アマチュアリズムも規定面でみると大きく変わってしまっている。大きく変わるようなものはイズムではない。本当に郵便配達はアマチュアではないのなら、いつまでたってもアマチュアではないはずだ。

むかしはダメだが、いまはだれが考えてもよい。そんな規定しかつくれないイズムは根底から考えなおされる日が、遠からずくるだろう。

身分規定というものは、日本では憲法で保証された基本人権に挑戦するものでしかない。任意団体といえども、国民の税金の配分を体協を通じて受けている以上、基本人権をないがしろにすることは何びとたりともできない。ただし、行為規定はあってしかるべきだ。これは、具体的に、“なにをやってはいけない”と規定し、それにふれた者を処分すればよい性質のものである。

国際オリンピック委員会が、アマ規定を参加規定にしてゆこうとしているのも、人間観の近代化の流れに沿うものである。卓球はオリンピックに入っていないその理由は二つあって、一つは中国問題であり、一つはアマチュア問題である。

初代会長として40年間卓球を今日の隆盛に導いたモンターギュ会長の先見の明は、国際オリンピック委員会のこれからの動向によって証明されてゆくことだろう。

すでに第2代会長のエバンス氏は、“ITTFは、オリンピックの方が憲章を変えればオリンピック運動に参加もする可能性も考えられる”と表明している。

世界選手権大会に集まるOB達

昨年の第1回アジア選手権大会には、10名の0B団が中国卓球協会の招きを受けて訪中し、各地で新しい友好親善の実をあげた。

サラエボの世界選手権大会には、選手団の他に約40名ほどの日本人達が集まる。総勢では70名に迫るかもしれない。

日本卓球界の実力というか、日本の円の実力というか、微妙な面もあるが、いずれにせよ、サラエボの街はときならぬ日本人ブームに湧くことだろう。この日本人グループの中核はもちろん選手団だが、富田芳雄(現姓江口)、田中良子、山田伺孝などの往年の名選手達も大会にいろどりをそえるはずだ。

世界に竸技種目は多いが、かっての選手達が集まって組織するスウェスリングクラブのような互助親陸団体は卓球だけである。激しくぶつかりあった者同士ほど親愛の情が湧く。もちろん、その間にフェアプレイがあった場合の話だが、卓球の選手達ほど仲間の面倒をみるグループはいないのではないだろうか。この傾向は特に欧州の人達に強い。

第2次大戦の動乱をくぐり抜け、各国に散り、また集り、国籍を変え、コーチになり、卓球用品を商い、亡命し、事業に成功し、おちぶれて生活に窮する。そんな友人同士が、仲間のことを案じ合いながらも、第二次大戦後はちょうどむかしの親知らず子知らずの難所をゆく旅人のように自分の生活のみを追った。

やっと生活のリズムが戻ってきたとき、30年代・40年代の名選手達は50才、60才になっていた。1967年、ストックホルムでスウェスリングクラブが結成されてから、はやくも会員は全世界で1,000人を数えるほどになった。その間、バルナ、バーグマン、ブリッツイらがいった。

そして新しいメンバーがサラエボに集まる。

1973年3月

荻村伊智朗

1973-3新アマ規定の制定

 

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