『オランウータンの社会復帰』『チャンスボール』1975年8月 卓球ジャーナル「発行人から」より‐荻村伊智朗

オランウータンの社会復帰

最近、アフリカだかのある国が、世界中のペットのオランウータンの社会復帰の場を提供して話題になっている。動物園や個人の愛がん用のオランウータンが世界的に増えすぎているので必要になったとのこと。

森林に放つ前にある区域にはなって、自分で果物などを獲って喰べる習慣になじんでいない者には一週間に一度、ご親切にも港からはるばる果物を運んで餌つけをするのだそうだ。

ところが珍現象があるのだそうだ。それは、一週間に一度の餌を待つオランウータンが増えるばかりで、ちっとも森になじもうとしないというのである。野性を放棄するオランウータンが増えているのはやはり人害?と関係者の間で論議を呼んでいるらしい。

卓球にもこの種の人害がおきないように、指導者も選手も考えなければいけないだろう。

卓球選手の野性とはなにか。卓球が好きでたまらぬ、ということである。卓球をやっていれば飯を喰うのも忘れる、ということであろう。

少し上手になってきて、卓球の模範試合をやるとポケットマネーをもらえたり、よいホテルに泊めてもらったり、おいしいごちそうを喰べさせてもらったりすることのできる層が、何百万の卓球人の中で何十人かできてくる。それを有難いと思っているうちはよいが、当り前だ、と思うようになったときは野性が失なわれはじめたときと思ってよい。

待遇が悪い、競技場の条件が悪い、などといいだしたら、野性の半ばは失なわれはじめた、と思わなければならない。

有名なチームの中学の先生や高校の先生は1年のうち300日以上も選手と顔を合わせていることだろう。大学のコーチは一年のうち150日も顔を合わせるだろうか。たぶんそういうところは少ないだろう。もっと少ないものと思われる。

大学で卓球を続けるような人は、自力でもじゅうぶん頑張る意気ごみをもっている人たちである。すくなくとも、そのはずである。

学生が弱くなってからもう何年もたってしまったので、学生が弱いのは当り前、といった雰囲気になってきている。惜しいことである。

コーチがいないから、とか、新人だと練習があまりできないからとか思ったときはひょっとすると自分は“野性”がたりなくなってきたのではないか、と思い返してみる必要がありはしないか。

中学や高校の名門校の選手で、大学に入るととたんに練習がルーズになったりする人も多い。中、高校のコーチの人たちも、手とり足とって指導するあまりに“好きで好きで……”がが薄れないように注意したいものだ。

だからといって、大学のコーチが放任でよいと言っているのではない。日本の卓球界には、野性を失なったオランウータンのような選手がいないように、とねがっているのだ。

チャンスボール

チャンスポールを逃さない、ということはむずかしいことである。チャンスボールだから打ちやすい球だ、と思いがちだが、そうとばかりはいえない。“チャンス”に二通りの意味をこめて使われているからだ。

一つは、打ちやすい球がきたとき。

二つは、この球をうまく打てば得点できそうなとき。

打ちやすい球とは、“打ちやすそうに見える球”であることが多い。打ちやすそうに見えても、そうでないことが多い。ロビングなどは打球点が高くとれるし、打ちやすそうに見えるが、じっさいは相手の打ちかたによってバウンドがのびたりちぢんだりして打ちにくい。高い球でも打ちにくいのだから、第二番目のチャンスボールなどはもっと打ちにくい。

カットサービスを出して、つっついてくれたらドライブをかけようと思っているとき、つっつきがきたら、もう“チャンス”と思ったりするのが、それにあたる。

関東学生秋期リーグ戦は、中大と青学大の優勝に終わったが、球史にのこるような高い内容は相かわらずなく、エラーの多い内容であった。

チャンスのみきわめ、ができていないことと、野球でいえばファウルにしておく打撃術がないことが単調で粗雑な攻めの原因かもしれない。

全日本大会出場クラスの青卓会の中学生選手でも、ロングサービスに対してネットから30センチ上がったショートレシーブを5ゲーム分連続スマッシュイン(300本連続)はなかなかできない。だれの目にも明らかなチャンスボールを確実にモノにできるだけでもたいへんな量の修練をつまねばならぬものである。

1975年8月

荻村伊智朗

1975.8.オラウータンの社会復帰、チャンスボール

 

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