『田中利明の掲載を終えるにあたって』1975年4月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

田中利明の掲載を終えるにあたって

3年3カ月にわたって連載させていただいた「田中利明伝」がいよいよ完結を迎えます。

卓球日本を背負って立ち、世界にその名を記憶させる大選手田中利明氏の卓球と人柄をたたえ、読者に数多くの有益な刺激と情報を提供できたものと確信いたします。

先日、早稲田大学卓球部50周年記念会の際に、往年のカットの名手仙台の中田鉄工氏にお目にかかったところ、「君らには昔は卓球を教えたことがあるが、いまはジャーナルの記事や田中君の文章などから教わっているよ」と激励を受けました。

また、本誌でもおなじみの福士敏光氏からも、「田中君は今月いいことを書いてますよ」と何回も賞讃の言葉をいただきました。

田中氏が新日本製鉄の課長で戸畑共同火力株式会社の資材課長を実務としての激職のかたわら、長い年月にわたってこの伝記を完成されたのは、卓球界の後進のために、という使命観に支えられたことと存じ、紙上をかりて、読者とともに深い敬意を表する次第です。

願わくばこの「田中利明伝」に刺激された若い世代の中から田中氏の説く“日本の卓球”の継承者がやがて現われ、再び世界を掌中に収める卓球日本の再興成らんことを!

江口冨士枝伝の連載について

徒手空挙、名門にも屈さず、これといった指導者にもつかない浪花娘が、再三の挫折に涙しながら、二度、三度と世界の壁にいどんでははねかえされ、四度目の挑戦を成功させてゆくのです。

マイナースポーツの悲哀の歴史をかみしめる者にこそ今日の卓球の隆盛の意味がわかり、挫折の苦汁を呑んだ者にこそ勝利の美酒の味がわかるのだとすれば、日本の卓球界の今日を築いた女子選手の第一人者はといえば、まず江口富士枝の名を挙げずにはいられません。

対カット、対ロングと総合的な強さでは抜群の江口選手ではありましたが、“泣きのニヤンコ”とのニックネームのとおり、努力の結果かちえた高みでありました。

現在は社員400名を数える丸善夫容室(本社大阪市)の社長としての激職がある身ではありますが、田中氏と同じように後進のために参考になるなら、と連載を快諾していただけたことはジャーナルの読者とともにうれしいことです。

構想を練る期間も必要なため、69号か70号から登場いたします。御期待ください。

1975年4月

荻村伊智朗

1975.3.田中利明の掲載を終えるにあたって.江口富士枝伝の連載について

 

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