『17才の世界チャンピオン』1971年6月 卓球ジャーナル「発行人から」より

17歳の世界チャンピオン

 

木村、福島、三木氏他の現代日本卓球界がもつ最高レベルの経験と頭脳とによって執筆されている“17才の世界チャンピオンがでるには”は、世界選手権大会後の日本卓球界の立ち上りを早めるのに役立つのではないかと思います。

17才という年令を名指したのは、べンクソンが18才で優勝したのに対して、その上をゆく若さの優秀な選手が将来日本からでるべきだ、との希望のもとにです。

ですから、特に17才でなければならぬ理由はなく、16才でも19才でもいいわけで、まだその可能性はいくらでもあると思います。べンクソンは18才で世界チャンピオンになりましたが、そのことに特別の意味はありません。というのは、べンクソンでなければ若くしてあの水準に達することができない特別な何ものかが彼にはある、とは指導した私自身も考えられないからです。年令がいくら若くても一定の水準の技術と老成した戦術的思想を持ちあわせていればそれは可能なことなのです。

「17才の世界チャンピオンがでるには」のライター達は、日本の誇る、国際経験豊かな人たちで、世界のどこの国へ行ってもナショナルコーチとして通用し、その国を世界一流の卓球強国に育てあげる力量を持っていますが、彼らが世界選手権の興奮もさめやらぬ間に集まり、卓球に対する情熱をぶつけた大作をぜひ活用していただきたいと希望します。

これを利用するその利用技術は、読者の皆様一人一人の問題になります。利用技術がすぐれていれば、この特集の内容は恐るべきエネルギーを内蔵しています。幸い本誌読者の大半は全国各地でリーダーとして活躍されているかたがたですので、この数回、数十ページの内容がやがてとてつもない選手が出現する起爆剤として利用され、活用されることを確信しています。

17才といっても、10才からスタートして7年目とか、6年たたなければダメ、という考え方はしたくありません。下から数えていくのではなく上から数えたいと思います。

年令の段階を考えるのではなく、水準の段階を考えたいと思います。最高水準の前の段階で消化するものは何か、その前は何か、その前は、と追ってゆくと、やがて初歩の段階に到達し、そこから始める、といった具合に考えて行きたいのです。人によって各段階を通り抜けるスピードは異なるでしよう。そこに年功序列的指導との矛盾が出てくるような気がします。従来の年功序列的指導システムは日本の社会秩序の中で処していくための教育的効果があります。しかし、これには弱点もあります。これはよくいわれてきていることです。弱点を補完する意味で活用されれば利用価値が高いと思います。

指導システムの改革が世界選手権大会直後にかなり大きな声で各方面で叫ばれましたが、ジャーナリズムの風波が去ったあと、各地の現場での卓球人自身の手による地味だが着実な改革がはじまろうとしているように感じられる最近です。

1971.6

荻村伊智朗

17歳の世界チャンピオン

 

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