三鷹卓球連盟30周年、おめでとうございます
この30年間、私の卓球活動は、三鷹卓連の方々をはじめとして、大勢の市民の方々の御応援によって支えられ、卓球の発展に微力を尽すことができました。この記念誌の紙上をお借りして、改めて深く感謝いたします。
昭和28年の暮、私は奈良の天理で行われた全日本選手権大会に優勝、翌年ロンドンで行われる世界選手権の日本代表候補6人の1人に選ばれました。
そのうちから4人が選ばれるわけですが、条件の1つに80万円の負担金がありました。日卓協には一銭の予算もなかったからです。今でいえば800万円にも相当する大金です。
母一人、子一人、3才の時に父を失い、母親が働いていた家庭ですから、「8千円なら何とかなるけど8万円でもあきらめるんだね」とため息まじりに母が冗談めかして云った言葉がずしりと胸にこたえたものでした。
ところが吉祥寺にある武蔵野卓球場の仲間達が三鷹、吉祥寺、西荻などでボール箱を持って10円募金をはじめ、小金井の氏家さん、武蔵野の沢登さんを始めとして、各市の地元の有力者が立ち上がって募金活動を始めてくださったのが29年の正月でした。
それから3ヶ月、私も駅頭に立ち、「荻村をロンドンへ!」などと叫びました。
「荻村ってだれ?」と本人に聞かれたり、「がんばれよ!」と云ってくれたり一人一人の顔や言葉が胸にひびきました。
皆さんのお蔭で40万円が集まりました。4万人の人が10円を入れてくれた事になります。
あとは母校の日大、そして親戚のカンパなどでやっと80万円を日卓協に納め、小遣いに2ドルを持って40日間の遠征に鹿島立ち。
55時間かかって着いたロンドンでは反日感情でいろいろと厭がらせがありましたが、大勢の人の励ましを思うと一層闘志が湧きました。
優勝杯を手に降り立った三鷹の南ロ、歓迎の人の波、そして市内のオープンカーパレード、そして母校の三鷹第四小学校の子供達が歌う校歌。感激はいまでもよみがえります。
その感激を糧にして、又もやチャレンジの日々。そして30年がすぎました。
今も三鷹卓連の一員として、上連雀の根拠地で後進を指導していますが、ここも三鷹の沢登さん、武蔵野の渡辺さんが“社会的な活動の場を”と後援していただいたものです。
コミュニティスポーツでは全国に先がけた前市長の鈴木さんのお考えに大へん啓示を受けましたが、コミュニティスポーツを基盤としてチャンピオンスポーツも育ってこそ世界の三鷹、日本の三鷹、と思っています。
これからも吉沼さん、嵩地さん、原田さん他大勢の皆さんの御指導と御支援のもとに、一歩ずつ目標達成に近づいてゆきたいと希しています。よろしくお願いします。
また講習会等の企画にはぜひ参加させていただきたいと存じています。
※三鷹卓球連盟 創立30周年記念誌(昭和58年)寄稿