1963年世界選手権 プラハ大会
男子団体 決勝
中国 5-1 日本
荘則棟 20-22、21-13、13-21 木村興治○
◯張燮林 21-8、21-9 三木圭一
◯徐寅生 21-17、21-11 荻村伊智朗
◯張燮林 21-5、21-11 木村興治
○荘則棟 21-19、21-19 荻村伊智朗
◯徐寅生 21-12、23-21 三木圭一
男子シングルス
●準々決勝
張燮林(中国)21-18、20-22、21-16、18-21、21-14 荻村伊智朗
●5回戦
荻村伊智朗 12-21、15-21、21-17、21-17、21-16 ベルチク(ハンガリー)
男子ダブルス 3回戦(ベスト16決定戦)
張燮林/王志良(中国)21-11、24-22、21‐14 荻村伊智朗/木村興治
混合ダブルス 4回戦(ベスト8決定戦)
張燮林/鄭敏之(中国)24-26、21-14、23-21、21-10 荻村伊智朗/松崎キミ代
1963年世界選手権プラハ大会 ― 中国との再戦
1963年、チェコスロバキア(当時)のプラハで開催された第27回世界卓球選手権。荻村伊智朗は日本代表として男子団体、男子シングルス、男子ダブルス、混合ダブルスに出場した。
男子団体では日本が決勝へ進出したものの、1961年北京大会に続いて中国と対戦し、1‐5で敗れて準優勝。荻村は徐寅生、荘則棟と対戦したが、いずれもストレートで敗れた。
個人種目では、男子シングルスで準々決勝まで進出。張燮林とのフルゲームの末に敗れ、ベスト8となった。男子ダブルスは木村興治とのペアで3回戦、混合ダブルスは松崎キミ代とのペアで4回戦に進出したが、いずれも中国選手との対戦で敗退した。
荻村は1954年大会の初優勝以降、世界選手権において必ず金メダルを獲得してきたが、このプラハ大会では初めて無冠で大会を終えた。
2年後の1965年リュブリャナ大会が、結果として荻村にとって選手として出場する最後の世界選手権となる。プラハ大会は、その競技歴の終盤に位置する世界選手権であった。


プラハ大会で強打を打ち込む荻村伊智朗












