『自信』『朝鮮』『AGF』1973年11月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

自信 朝鮮 AGF

ある心理学者の話をきく機会があった。その人によれば、自信とは「自分が他の人とはちがう特ちょうがあることを識ること」だという。

自信とは、「自分が他の人よりまさっているという意識」ではない、と私は思う。自分の特ちょうをしり、それを生かしてやるやりかたをしっていることから生まれる“しっかりした態度”が、自信のある態度なのだ。

自信と優越感とはちがう。

人間の社会で、“勝つ”“人にまさる”ということを意識するためにはモノサシがいる。卓球では21本先にとって勝つこと。絵では人に認められ、買手がつくこと。経済活動では利益を生み出すこと。こうしたモノサシに合えば、優越感を持つこともできる。

弱いときから自信にあふれて名人に香車を引いて指すまではと母のモノサシに書きおきをして家出した升田名人や、死ぬまで一枚の絵も売れず世間の不評に悩み抜きながらも自分の絵を画きとおしたゴッホなどは、優越感にたよらぬ自信をもっていたといえよう。

私が、人間の技能では不可能、といわれ、自分でも3本と続けて打てなかった10ミリスポンジでのカット打ちをマスターしようと決心したのも“俺だからできる”という気持でよりも、“俺ができるようにやってみよう”という気持での方が強かった。

 

朝鮮民主主義人民共和国を10月に入ってから2週間訪問した。

1400万人の朝鮮半島の北半部の人達は、すばらしい意気ごみで国づくりにはげんでいる。すでに山の中の家まで電化され、農村では水道化が進められ、ピョンヤン市は全都集中暖房で10階のアパートの部屋にも床暖房がゆきとどいている。世界で最長の11年制義務教育もすすめられている。卓球もごしょうちのように発展している。

こうした国づくりのもとになる考えかたは“主体思想”だ。自分たちがすべてのしごとの主人だ、というような意味だ。

ソ連、中国、日本、というサイズの大きな国々と境を接し、ながねんのあいだその影響をいろいろな面から受けてきた朝鮮の人たちは、自分たちの手で国づくりを“自分たちは他の人たちとはちがうのだ”という意識を持つことからはじめた。

引きさかれたまま20年もたった朝鮮民族のとくべつな状態の中で、1400万の人たちが外国の力にたよらずに国づくりをするのにはたいへんな困難があったにちがいない。

一平方メートルあたり16発の爆弾が炸烈したというピョンヤン市の廃きょに立ったとき、人びとの胸に優越感があった、とは思えない。

この季節、全国の卓球部は役員交替の時だ。新しく役員になって、部の明日をきづいてゆく人たちは、“自分たちの部の特ちょう”をしっかりつかむことが大切だろう。

歴史の浅い部もあるだろう。人数のへってしまった部もあるだろう。どんな特ちょうでも、それをはっきり意識し、“よそがああしているから”ではなく、“われわれができるように”最大限の努力をしてみたらどうか。

最大限の努力といえば、次のようなことがあった。朝鮮の卓球協会の幹部(役員)の人たちが「では、午後また会いましょう」というと、それは午後4時のことだった。1時から3時までは昼、食と休息(昼寝)の時間なのだ。“ずいぶんラクなんだナ”と思う人がいるかもしれない。

午前中の勤務時間は9時から1時。午後は4時から8時だ。これで仕事は終わりなんだが、それから2時間、朝鮮の各界の幹部は学習をする。大部分の人たちは職場にのこって学習をする。幹部ほど努力をしなければならない、という金日成首相の教えにもとづく行動だそうだ。最大限の努力、とは、こうしたものだろう。

 

中華全国体育総会が中国を代表する唯一の体育組織であることをいちばんはじめに認めた日本のスポーツ団体は卓球協会である。

日本体育協会は今年のはじめ、おなじ統一見解をまとめた。このたび、アジア競技連盟(AGF)が執行委員会と評議員会で同じ決定をした。

ここにくるまでには、日本の体協の中でも、竹田、田畑、柴田、宮川らの諸氏を中心として、これは歴史の発展の法則に合致した正しい行動だ、という信念にもとづいた力強い努力があった。

もちろん体協の中にもいろいろな意見はある。とくにブルガリアのバルナで行なわれたIOC総会で、いオリムピックのキラニン会長や、国際陸連のエクゼター会長が日本を批判すると、役員間の勢力争いもからんでIOCの悪い子になったと田畑氏らを批判する動きもあった。

中国は第二次大戦後20年間余り、咋年まで国連の外にあった。その間に中国は内戦の傷手から立ち直り、20年間も物価があがらず、内債も外債もなく、卓球を含め中国ならではの国づくりを行なってきた。しかし、中国がいわゆる先進国になった、とは中国自身もいっていない。にもかかわらず、中国の人たちは、自信をもって国連でも、AGFでも、各IFでも代表の回復運動を粘りづよくすすめている。やがて、IOCのえらい人達も中国の代表国回復を認め、日本の体協の先見性に敬意を表するようになるだろう。

1973年11月

荻村伊智朗

1973.11.自信挑戦AGF

 

※卓球王国が運営する「王国e Book」では卓球ジャーナルの電子書籍を購入することができます。

王国e Bookはこちら。

https://world-tt.com/blog/news/ec/ebook?sale_sub_category=F

関連記事一覧

  1. 1973.7.大会場のマナー
  2. 1973.8.天才プレイヤー三条件
  3. 青卓会の歴史とこれから
  4. 1973.6.六月はバラの季節
  5. 1973.10.このごろ考えること

Translation

最近の記事

  1. 青卓会1986-06-26
  2. 1955年ユトレヒト大会オーストリアのリンダ・ウェルツェルと
  3. バタフライトピックス1955表紙
  4. 長野五輪承招致報告書1
  5. 東京新聞1991年4月24日

カテゴリー

PAGE TOP