『青卓会の歴史とこれから』荻村伊智朗 1973年

青卓会の歴史とこれから

1973年ミーティングにて

荻村伊智朗

おこりから現在までの活動状況

青卓会は20年前の年に吉祥寺の上原さんの武蔵野卓球場で始められた。始めた人たちは斉木さん、内田さん、沖さん、荻野さん、私、田中さんなど10人ぐらいおられる。当時、上原さんの卓球場には、青卓会と吉祥クラブの2つがあった。そのメンバーが一緒になったかたちで青卓会ができた。ところが、当時のクラブというのは、たとえば高校生の頃は非常に熱がある。大学生になってもかなりやる。しかし、同じ人たちとだといきぎれがする。これはいまの会員の人たち自身だって、ときたま調子が悪いといきぎれしたり。自分よりその人が上手になったような感じがあるといきぎれしたり。他におもしろいことができたりすれば卓球に対する熱が少しさめるというか、そういうときもこれから経験するかもしれない。

そういうわけで、青卓会の人たちみんなが20年間続けて卓球だけが好きで卓球ばっかりやってきたわけではない。最初の5~6年は非常に熱心に発展したクラブであったけれども、その後は割り合い親睦団体的になり、練習をいっしょうけんめいやる会ではなくなってきた時代があった。

そして5~6年前からこれではいけない、自分たちもつまらないということになった。人間はあるていど年をとってくるとやればやるほど上手になることではなくなる。なぜかといえば、スポーツは体力が関係する。原則として体力がのぼり坂のときに卓球は上手になっていく。体力が下り坂になるのは相当年取ってからだけれども、いつまでものぼり坂でいくものではない。

そして、10年ぐらいはまんねりになりやすいものだ。そういう時代はいっしょうけんめいやってもあまりかわりがない。そこで、自分たちが卓球がとても好きだというのと同じように、卓球が好きでしょうがないという。若い小、中、高校生で熱心な人がいたらその人たちを援助しようという考え方のもとに若い会員を募集するようになった。それまでは古い会員だけでやっていた。

現在の活動の中心、熱心な人を援助する

ここでいま会員になっている人たちは考えなければいけない。それは卓球が好きでいっしょうけんめいやりたいという人を援助しようということであって、まず最初に熱心な人がいることが大切だ。熱心でない人を熱心にさせようというのではない。それを会員の人たちは考えなければいけない。熱心な人というのは主体性があるということだ。自分自身がやりたくてしょうがない、だからやるという気持ちがある人を応援しようというのが、ここ5~6年間の青卓会の活動の中心である。

卓球が好きな人はどこのだれでも会員になれる

自分が卓球が好きでやりたくてしょうがない。何とか上手になりたい。いい卓球をしたいという人を応援する。そういう人であれば、別に吉祥寺の人でなくてもどこの人でも友だちという考え方である。現にいま会員になっている人でも、八王子や千葉の人たちも会員になっているし、近い人でも遠い人でもかまわない。

熱心さには先輩も後輩もない

同じ学校の先輩、後輩も大勢会員になっているけれども、別にどこが中心という考え方ではない。中心は会員一人ひとりの主体性という熱心さである。熱心さがある人はみんな平等だし、その人たちはみんな仲間である。もちろん古くからはいっている人たちはそれだけ親しみがわいているから、その人たちは古い仲間というか、古い友だちと言う関係できやすいだろうけれども、新しい人でも熱心さが同じであれば、今日はいった人でもやはり同じ仲間だ。だから、熱心さには先輩も後輩もない。古くからはいった人でも熱心でなくなった人もいるし、新しくはいった人でも熱心な人がいる。これは年令にも関係ない。いくら年とっても熱心にやっている人もいるし、若くてもあまり熱心でない人もいるし、逆の場合もある。

学校のクラブなどの場合は先輩、後輩という問題があって、先輩は後輩に対していろいろ面倒もみるし、また、いろいろ指示や命令もするというようにいばる。先にはいった人はいつまでも先輩である。青卓会の場合ももちろん年上の人はある意味で人生の後輩である。また、先に青卓会にはいった人は年令が若くても先輩である。しかし熱心さでは先輩になったり後輩になったりする。熱心さがうすれてくれば最初に入っていても、その人は熱心さでは後輩になっていることになる。たとえば、受験勉強のためにあまり出席できないというときは、どちらかといえば熱心さの点ではやむをえず後輩になる。

先輩には敬意を表する

先輩には敬意を示さなければいけない。どういう相手に対して敬意を表するかというと、まず年上の人である。これは日本の社会では年上の人に対しては、一定の尊敬の念を持つ伝統があるからだ。それから年令が若くても先にクラブに入った人にも一定の尊敬の念を持つ。つぎに、忘れてはいけないことは、はじめにあるように年令が若くて新しく入った人でも現在非常に熱心な人にはやはり尊敬の念を持って接しなければいけない。これは青卓会というクラブ活動での人間関係を考えていく上で大切なことだ。先にクラブに入った人のいうことはなんでも絶対だ、とか、年上の人のいうことは何でも絶対だ、というような単純なことではない。それかといって、では自分は一番熱心にやっているから自分が全て上だということでもない。

いまあげた3つの関係をそれぞれときと場合によって使い分けて考えていかなければいけない。卓球をやるときでも、ときにはショートをやったほうがいい場合もあるし、スマッシュを打った方がいいときもあるのと同じように、そのときによって使いわけていくようにする。

たとえば青卓会で集会をやるような場合、席につく位置や順番などはあまりこだわらない。しかし、こんどの20周年の記念行事をやるときなどは、やはり古くからいる人に中心に座ってもらうようにしたい。こういった場合はその人が今あまりやっていなくても、過去の青卓会の歴史を作ってもらったという敬意を表することになる。

だけど、リーグ戦などの場合は熱心にやっていて、技術も上手な人から順に出るということになる。というように、そのときに応じてどの面を重く見たらいいか考えていかなければいけない。練習するとき、あるいは誰かが試合に出たとき、その人に対して自分はどういう行動をとればいいかということはその都度考えなければいけないことだ。

お互い応援し合う

熱心な人たちを援助しているいまの会員のような人たちだけが会員を援助するのではない。援助するのはお互い同士である。もし、20人の人たちがいるとして、このうち2~3人だけが他の人を援助するやり方と20人がそれぞれ他の人を援助し応援するやり方であれば、後者の方がはるかに盛り上がりが強い。一番悪い人間の集団というのは、お互い足をひっぱり合うことだ。あいつ少し上手になってきたのでおもしろくないというようなことがもっとも悪い。

次によくないのがお互い何にもしないことだ。自分だけ強くなればいいという考え方は結局本人の損だ。一番よいのはお互いに応援し合うことである。そのときと場合によって、ああ、いまは自分は応援の側にまわらなければいけないと思ったら、それをいっしょうけんめいやるということが非常に大切である。

自分はここで5応援したので、相手に5応援を返してもらわなければいけないというような貸借の換算表を作るような感覚の人は大きく伸びない。自分が応援する立場に立ったらいっしょうけんめい応援する。そして自分がかりに応援される立場になれば、こんどはみんながいっしょうけんめい応援してくれるというかたちができてみんなが伸びていく。

チームとしての感覚を身につける

会員の人たちの場合はそれぞれ学校も違うし、年令も相当開きがある。住んでいるところもずいぶんちがう。卓球の球歴もちがうし、知り合った日もまだ浅いということで、お互いに助け合っていこうというような一つのチームとしての感覚がまだ十分できていないと思う。それはそのままほっといてはいけない。やはり努力してそういう感じを育てていかなければならない。古い人たちだけが熱心な人を応援しようとしてもダメだ。新しい会員の人たち同士がやはりそういう考えを持ってやっていくことが大切である。その新しい人たちがだんだん古い会員になり、一つの伝統になってくる。伝統の力があれば新しく入ってきた人たちもどんどん伸びていく。みんなが割り合いよその人たちよりも早く伸びられるのは、やはり古い会員の人たちがその経験をみんなに惜しみなく与えて応援しているからだ。それを受けついだ人が自分たちのポケットにしまっておくだけでは発展しない。善意にしても、技術にしても、受けついだものはみんなに戻していく。そしてお互いに積み重ねていくということが望ましい。そういうようにみんなが努めれば、古い人たちはますますそういうすぐれた人たちを応援しようという気持ちになる。

めぐり会ったことを大切にする

この地球上に何十億という人間がいる。その中で卓球をやっている人たちが、約2000~3000万人ぐらいいる。かりに少なくみても2000万人はいる。いま会員が20人いるとしたら、100万人に1人ということになる。100万人ということは宝クジがあたるよりももっと少ないようなチャンスでお互いに友だちになれたのである。そういう関係は大切にしなければいけない。偶然ではあるかもしれないけれども、お互いにうまくめぐり会ったのである。それをわざわざ知らぬ顔をする必要はない。一つの人間の集団としてのめぐり会ったことを大切にして、自分たちの力を高めて、青卓会はみんなで助け合って、立派な結果を出すということにしたい。何かの会や集まりがあったときに、一部のものだけが知っているということが何回かあったが、みんなに情報がゆきわたれるように努めよう。

強いだけでなくよいグループ

いっしょうけんめい練習したから、今年の全国中学大会でも宮城君が代表になった。おそらく来年からは代表になる人はもっと多く出てくると思うけれども、そういうものは個人の名誉だけではない。来年も会員の誰かが代表になったとしたら、青卓会は立派にやっていると注目される。それは強いだけではない。よいグループだということになっていけば、卓球とはよいものだとなっていく。そうすれば卓球に対する世間一般の評価も上がってくる。そういう方へ向いていかなければいけない。

みんなでよろこびあえるように

よい結果が出たときは会員みんなで喜びあえるように努力する。今でも例えば宮城君が中学生の全国大会の代表になれたのは自分が練習してやったからなのだ、とみんな思っているかもしれない。それは非常によいことだ。自分と打ったので宮城君はうまくなったと。来年だれかが代表になった場合、それはそうだろう、自分と練習したのだから強いのは当然だ、というようにみんながなっていけば当然よい成績があげられる。また良い成績をあげれば会員みんなが喜ぶ。そういう気持ちになるようにお互いに努力していかなければならない。

努力しなければやはりよいものはできてこない。よいものを作るにはすごく努力がいるけれどもそれをくずすことはたやすい。どんなに立派な建物でも、つっかえ棒一本はずせばガラガラッといく。だから、お互い同士、助け合う。それに古い会員の人たちがみんなを応援してくれるということで、みんなは非常によい環境にある。

恵まれている環境

みんなが知っているように青卓会には、イギリス、デンマーク、オーストラリア、アメリカ、スウェーデンなど世界の各国からもわざわざ教わりにくる人が多い。それはそれだけ青卓会にはよい指導者がおられるということである。

自分で自分のことをいうのは恥ずかしいけれども、私も指導者として実績のあるよい指導者だし、山中さん姉妹にしても、田中さんや川越さん、末藤さんその他の人たちにしても非常に経験と実績のあるよい指導者である。そういった指導者に教わるためにあるいはみてもらうために世界中からやってくる。そういう恵まれたところでみんなは卓球がやれる。

この間オーストラリアの選手たちが青卓会に5回きた。そのために旅費だけでも50万円はかかっている。1回10万円のコーチ料みたいなものだ。もちろん青卓会は一銭もとっていないけれども、その選手たちが使ったお金はそれだけかかっている。まわりの人だってその人たちを青卓会にこさせるためにお金を集めているのかもしれない。それだけ価値のある青卓会でみんなはわずかな会費で卓球ができる。

すべてに集中して

みんなはひとり一人が頭がいいし、運動神経もいい優秀な人たちであるから、しっかり集中してやってもらいたい。卓球に集中するということは、卓球をするときに気をちらさないでやるだけでなく、長くいろんなことに気をちらさないでやるということである。体力が伸びているあいだじゅう卓球は伸びるのだ。そのためにはうまく寝ることも練習だ。風邪をひかないように疲れをうまくとるように上手に寝る。歩くときにつま先で歩くのか、デレデレと足をひきずって歩くのか、これも練習だ。

また、食べることだって練習というように全てを卓球に集中することが、卓球に集中していることになる。

自分が努力すればするほど自分のものになってくる。そういうことを後になって気がついてもそれではおそい。自分にチャンスがあるあいだに気がついてチャンスがあるあいだに努力しなくてはだめだ。ところがチャンスがなくなってから気がつく人が多い。あのときやっておけばよかったなと思う人が多いけれども、少なくともみんなはそういうことがないようにしなければならない。

身体を鍛える

身体をしっかり鍛えることも大切だ。10年後の身体は自分の責任である。人間の身体は小さな細胞からできていて、その細胞は新陳代謝を激しくやっている。たとえば皮だったらアカになっておちて新しい皮ができる。人間の細胞や骨や皮にしても、筋肉でも、10年たつと全く変わってしまう。

いま14歳の人は10年前の4才のときの組織で残っているものは一つもない。全部新しい細胞になっている。その細胞はこれから食べ、食べたものをどうして消化するかという努力でかわる。どうやって良い筋肉にするかというのが大切だ。筋肉、筋の数は赤ん坊でも大人でも同じである。ただその一本一本が子供のは細くて大人のきたえている人は太くなっている。太くなすためには食事とトレーニングが大切だ。それによってたくましい筋肉にもなるし、そうでない場合もある。だから、身体づくりはやはり自分自身が10年後の自分の身体に責任を持って自分でつくっていくものだ。

みんなは頭もいいし、身体も良よく動くけれども、一部の人をのぞいては身体が貧弱だ。それは人のせいにしてはいけない。今までの自分の努力が足りないのだ。たべものに好き嫌いがあっては身体は丈夫にならない。好き嫌いでものをたべるのではなく、身体を丈夫にするために食べるという考え方が大切である。筋肉にえさを補給するという考え方が大切だ。たとえば、背の高さが足りない人や骨の太さがたりない人であれば、カルシウムの多いものをたべたり、のんだりすることが必要である。

卓球が強くなるためにはまず精神、そして体力、技術

卓球が強くなるためにもっとも大切なのは、精神力である。精神力というのはいろいろな要素がある。頭の働き、いわゆる知能、それに気力、これはすべて人間の精神の活動である。

つぎに大切なのは、体力、そして技術である。ところが、みんなは卓球というと技術のことばかり考えて、精神力や体力のことを考えることが少なく、努力することが少ないとしたら、それはやり方が誤っている。技術は誰だってみな同じぐらいになるものだ。

それは、みんなもベンクソンと同じぐらいの技術は必ず身につく。しかし、単純な例だが、ベンクソンはボールが来た場合0.1秒で1m動ける。みんなは70cmしか動けないとしたら、会員の人のスマッシュ範囲は半径70cm、直径1m40cmで、ベンクソンは半径1m、直径2mある。この範囲の差だけベンクソンがスマッシュ範囲が広くなる。それで勝負はついてしまうというように体力は絶対、技術より必要性が大である。だから24才になってから身体づくりをやってもおそい。ところが、そういう人が多い。20才すぎて技術が上達して、ああ、やはり体力が必要だというので、いっしょうけんめいやってもそれではおそい。いますぐ身体づくりをスタートすること。そして体力の問題を解決する。日常生活のすべての努力を卓球にむすびつけておこうようにすれば、精神力は必ず増強されてゆく。これもいまからすぐやらなければならない。そういうことを心がけてやる人を私たちは尊敬する。若くても尊敬できる人は必ずいる。強くても尊敬できない人もいるし、いまは弱くても尊敬できる人もいる。

青卓会の歴史とこれから

関連記事一覧

  1. 1973-4国際卓球連盟の会長代理
  2. 1973.11.自信挑戦AGF
  3. 1973-3新アマ規定の制定
  4. 1973.8.天才プレイヤー三条件
  5. 1973.6.六月はバラの季節

Translation

最近の記事

  1. 日本の千人創刊号表紙
  2. 青卓会会報No.17
  3. 日本卓球、今後の興隆策について
  4. 卓球ジャーナル1987冬表紙
  5. 青卓会新会報ナンバー5
PAGE TOP