『尋ねるということは力量のいることである』1978年10月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

尋ねるということは力量のいることである

私の属しているクラブは、Mさんという全国的にも名のしられたキャリアのある人が、トレーニングやからだのつかいかたを会員のために指導してくださっている。この春からのことである。

「最近、質問が変わってきましたね」とMさんがいう。

「うつぶせの姿勢であれだけ引ける腕が、立つとそれほど引けないのはなぜでしょうか、と高2のM君が聞いてきたんですが、とてもよいところに気がついたといったんですが……」

尋ねるということは、力量のいることである、と私はおもう。

コーチが次から次へと教えてくれることに、消化不良をおこしながら懸命についていく選手生命もあろう。口をあけて、コーチがはこんでくる餌を待つだけの選手生命もあろう。しかし、卓球ジャーナルの読者は、“尋ねることの大切さ”を知る人であってほしい。

今昔物語に、源博雅という人が逢坂山に住む盲目の琵琶の名手蝉丸の秘曲をひそかに聞いて盗もうとして3年間雨の夜も風の夜も一日も休まず通いつめる話がある。やがて3年目の八月十五夜、満月の夜に蝉丸は琵琶を抱きつつ、このような夜に誰か訪ねて来ないものだろうか、心得のある人が来てくれたら語り明かしたいものを、と呟く。博雅すかさず名乗りいで、ついに秘曲を授けてもらうのである。尋ねる、とはたいへんな力量のいることだと思う。

 

話変って、日本の卓球の凋落を嘆くある新聞記者が“日本の秘伝主義はいけない。秘技は公開しなければ日本は進歩しない”と熱をこめて語るのを耳にしたことがある。

私も秘技をどんどん人に教えるのはよいことだと思う。ただし、蝉丸がいう“心得のある人”に伝えるのがうれしいように思う。世阿弥も「家々ニアラズ、ツヅクヲモテ家トス。人々ニアラズ、知ルヲモテ人トス」といっている。

私は、八王子の電車庫に阿木さんや河田さんをたずね、日大の道場に矢尾板さんをたずね、日暮里に佐藤博治さんをたずね、藤井則和さんを大阪にたずねた。どの人たちも、親切に、もっているいちばんよいものを伝えてくださった。それは、私にもその人たちを動かす何らかの心得がいくぶんかはあったからであろうとおもう。

みなさんの卓球の場には、先輩や指導者がおられよう。かならず、何かしらすばらしいものをもっている人たちであるはずだ。そのすぐれたものを喜んで与えようという気にさせる“心得”のある生徒になりたいものである。

1978年10月

荻村伊智朗

ロンドン大会後のパリ

1978.10.尋ねるということは力量のいることである

 

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