『下積みの実力』1978年12月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

私が初出場で全日本硬式に優勝し、世界選手権に優勝したとき、新聞は、“無名の荻村という若手が一躍……”と書いた。

しかし、私はこれより一年前、軟式とはいえ全日本のシングルスに優勝し、都市対抗や国体の代表になっていたのだ。

卓球をはじめてから、いってみれば私は新聞記者や世間一般にはたしかに“知る人ぞ知る”選手であったといえる。無名でもあり、有名でもあったといえる。もし、私が27年の全日本硬式に予選落ちせずに出場していたらおそらく私の力からいって、ランキングには入っていただろう。そうすれば翌年“彗星の如く”現れるというわけにはいかなかったに違いない。

あとになっていうのはこのように簡単だが、実は私は、この予選落ちで卓球をやめることができなくなった。それまでの私は、働いている母親の手前もあり、全日本に一回でて力試しをしたらやめて勉学に重点を移そうかと考えていたのだ。

だが、しかし、檜舞台を踏まずにやめるわけにはいかない。私は日大に転じ、背水の陣をしいた。

それからの私は、死にものぐるいで卓球にとりくんだ。自分の努力が実るか実らぬかわからぬのに、気ちがいのように努力する一年間は、まさに下積みの苦しさを味わうものであった。ひとくちに、下積みの時代が生きたなどとよくいうが“下積み”と称するためには、ほんとうは上積みでいられる実力が必要なのではないか。私は、下積みとは、上積みになる力があるのになにかのきまりやら運やらで下にいることを指すことばだと思う。

力もないものが下にいることを下積みだとか、苦しいというのは、少し甘すぎるといったほうがよい。

 

人が、その下積みの期間に、これでもか、これでもまだか、と努力することで“彗星”のエネルギーが産まれ、爆発力がたくわえられるのだ。

いまも、世に出るのを待ちつつ、下積みの努力を重ねているすばらしい若者が、日本のどこかにきっといるのではないか。君がほんとうに下積みならば、君は幸運児なのだ。

1978年12月

荻村伊智朗

 

※注:原文のまま掲載しています

1978.12.下積みの実力

 

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