『雑誌の功罪』1979年9月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

雑誌の功罪

私たちが高校生のころ、指導書といえば今孝氏の『卓球』と福士敏光氏の『卓球』であった。

これらの本がいまの指導書とちがうのは、写真がきょくたんに少ないことだった。シャッタースピード25分の1秒くらい、しぼり8ぐたいでうつす写真だから、たいてい屋外で撮影してあり、しかも“コマどめ”であった。

つまり、写真のぬしがバックスウィングのところで動きをとめ、インパクトのところで動きをとめてみせる写真である。写真、というよりはイラストレーションにちかい性質をもっていた写真を私はみた。

私はもちろん、この写真からいろいろと想像し、文中の意味を移して動きをつけてみたりしてフォームをつくっていった。私の高校にはコーチがなく、上級者が指導してくれたが、自分自身で考えることはどうしても必要だった。

 

いまとなってみると、こうしたイラストレーション風の写真には数々のすぐれた点が多いことがわかってきた。実際の連続写真では動いているボールにあわせたりする姿勢が含まれるため、かならずしも理想的なフォームとはいえない。

また、そのひとが自分の“感覚”で正しい、と思っているフォームとはちがうときがある。そんなとき、その名人が“理想”と思っているフォームをみたほうが役にたつ。連続写真といっても、写真には平面的な限界もある。また今日のように、卓球のコーチングもある程度の水準になればだれでもやるようになれば、誤解も多くなる。

 

そんなことを痛感したのは、ことしにはいって三回のスペシャライズド研究会を卓球ジャーナルの愛読者とやってみた結果だ。気の毒、といってはなんだが、独習・独学するひとにとっていままで出ている情報が、ひとりよがりなフォームづくり卓球づくりをさせる結果になりがちなのだ。

“中国型の打法にはバックスウィングがない”とか“バックスウィングが小さい”というが、はたしてそうだろうか。荘や徐・李らのフォームを分析してみても、私にはかならずしもそうは思えない。ところが、“ない”という観点から証拠写真を並べようとすれば、もちろん並べたてることができるのが印刷物のおそろいところだ。

 

情報の質というものは、器機や器材によって決定されるものではない。この現象をどうみるのか、によって決定される。

1979年9月

荻村伊智朗

1979.9.雑誌の功罪

 

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