ドーピング
1954年の春、第21回世界選手権大会の開かれていたロンドンでのできごとです。風邪ぎみだった日本チームのある選手が更衣室で打ったビタミン剤の注射のアンプルを誰かがくずかごから持ち出して大会役員のところへ持ちこみました。
“日本選手が興奮剤を打って出場か”と新聞に報じられたのは次の日の朝のことです。当時の英国ではすでに注射は医師の手でしか許されていませんでしたし、注射用のアンプルなども医師の処方せんなしでは薬局で売ってはくれませんでした。終戦後日も浅い日本では、医師の数の不足も手つだってか日本人の薬好きゆえか、素人の注射療法には英国のようなきびしい世間の目はありませんでした。
結局、ロンドン大学で調べた結果、オリザニンレッドとかいったビタミン剤には興奮剤は含まれていなかったことが公表され、日本選手はあらぬ疑いから開放されました。
“どうもあんなに小さい日本人が、あんなに元気なはずがないと思っていたよ”といった感想はまず根も葉もないものだとわかってもらえたのですが、それにこりた日本チームは、その後は注射はおろか呑みぐすりや貼り薬にまで神経をつかい、うしろゆびを指されることのぜったいにないようにつとめました。
最近の新聞で、重量あげ世界選手権大会の失格さわぎが報じられましたが、あのときの厭な感じをおもいだしました。
スポーツ選手が勝利を最善最美のものとして追求してゆく以上、自力とはいったいどこまでか、という問題が問われつづけるでしょう。競技水準が人間の力の限界に近づくにしたがって、人間性の限界というか境界に近づく、ともいえそうです。
いつだかの日本卓球協会報に西独の大会のときに日本選手が競技場内に持ちこんで呑んでいたドリンク剤についての批判的な意見が紹介されていましたが、欧州遠正を控えて、日本を代表する選手は、こうした問題にもじゅうぶんな理解と認識をもってほしいものです。
よくなった学生リーグ戦のマナー
関東学生一部リーグのマナーがよくなった、という評判です。ネットインや相手の明らかな凡失に対する拍手や歓声がなくなってきた、というのです。
この数年間の学生リーグ戦のマナーは、たしかに低下していました。勝つために役立ちそうなことは何でもやれ、といった感じさえありました。ところが、今日の学生卓球界をリードする専修大学チームが、ネットインやカバーの得点、相手の明らかな失点には拍手をしたり歓声をあげたりしないことを自らきめ、実行しだしてからは他校も同調。当り前の話だ、といえばこれほど当り前の話はないのですが、とにかく良くなったことは嬉しいことで、観ている者にもスポーツの気持ちのよさを味わう機会が増える、というもっぱらの評判です。
二部や三部リーグになると、スポーツについての良い意味での“遊び”の精神とでもいうものを感じます。審判の誤審に対して有利に判定させた選手サイドからの訂正などはよくあるようです。
それが一部になると、”自分では申し出たいのだがチーム戦だから自軍に不利になるような申し出をすると先輩から叱られる”といった声もあるとのことです。
1967年のヨハンソン(スウェーデン)、1969年のガイスラー(東独)、など、自分の一生にまたとないチャンスに、平然として自分に不利な事実をレフェリーに申しでる人達をみましたが、ほんとうにえらいなあ、と感じました。
1970.10
荻村伊智朗
I.OGIMURA
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