城戸名誉会長と後藤新会長の意味
ある国の選手やコーチが3年がかりで、何百時間もかかって、ようやく使えるようになった技に、別の国の選手がさんざんにやられたとする。負けた選手たちの反応はどうだろうか。
1.よし、それに負けないようにがんばろう。
2.よし、私もあの技をマスターしてみよう。
3.3年もかかって今から追いかけても大へんだ。自分の卓球の戦型にも適しない技だ。
あんなのでやられたら負けちゃうよ。ルールで禁止でもしないかぎり、自分たちは勝ちめがないと思っていてください。
1とか2のような気概のある選手のいる国の役員は幸せだ。ところが、実際には3のような反応をしめす選手が多いものだ。幸せにして日本の選手にはそんな意気地のない人はいない。しかし、外国にはかなり多いようだ。
ピョンヤンで4月に開かれた第3回アジア卓球連合の総会で、第2代会長の城戸尚夫氏が名誉会長に就任し、後藤淳氏が会長に就任した。城戸尚夫氏は国際卓球連盟の会長代理でもある。
国卓球連盟の会長はウェールズのエバンス氏、名誉事務理事(名誉とつけるみのは無給の意味)はイングランドのビント氏、会計はフランスのミルシェ氏で、これに城戸会長代理を加えると執行委員会の四役が揃う。四役の討議する内容はルール、会員資格、会費、大会の認承、ランキング、各国政府・オリムピック委、GAIFとの接しよう、など国際卓球連盟に関するすべての問題をとり扱う。
ITTFが1926年に発足したときはヨーロッパ連盟のようなものだった。事実、数回の世界選手権は、はじめヨーロッパ選手権としておこなわれ、のちになって世界選手権として追認されたものだ。
そのころ、ヨーロッパは“世界”だった。それは卓球だけではない。すべてのスポーツが欧米に源を発しているし、“アングロサクソンがはじめたのだ”という自負を欧米の人達はもっている。それはそれで正しい。
だが現実の世界は、すべての大陸から120もの協会が加盟するITTFになった。ATTUは31の協会を有し、ITTFの中核的在存だ。ヨーロッパ卓球連合は34の協会を有し、ATTUよりも大きく、国際卓連のランキングリストにもアジア以上の選手を送りこんでいる。しかし選手の勢力は(中国の力におんぶしているとはいうものの)まずまず桔抗している。
だが、役員は大ちがいだ。理事15名のうち8名をヨーロッパが占めているし、わずかに2、3の協会しか加盟のないオセアニア(豪州、ニュージーランド)や北アメリカ(カナダ、メキシコ、USA)が副会長を一人づつ出せるしくみになっている。国際卓球連盟などはまだよい方で、バトミントン協会などはイギリス人が過半数の役員を占めるような規約になっている。役員なんてどうでもよいではないか、と考える人もあるかもしれない。だが、これが選手に大へん関係がある。ある選手やコーチが3年がかりで何百時間もつかって使えるようになった技術を自分の国の選手に都合が悪いとか、かつてやってきた卓球と卓球が違ってゆくのは好ましくない、とかいう動機でルールを変える。まさか、と思うだろうが、そうであると思える例はいくらでもあるのだ。動機があれば理由はくっつけられる。理由があれば会議にかけることができ、会議にかけることができさえすれば多数を押えてあるのだからルールを変えることができる。
中国の牛若丸戦法に対して最近の欧米役員間ではルール改正の意見も出はじめている。“異質面ラケットの禁止”である。回転のかかる裏ソフトラバーでドライブしかかけられない選手にとって困るのは当り前で、困るからこそ工夫が生まれ、単調な技術や戦術に対する反省が生まれ、卓球についての浅い理解に対する反省が生まれるのだ。
70年代に中国が文革で不在のときに各国で生まれた“ドライブで一発ひっかけさえすれば”という風潮に対して、中国の比較的非力の選手達が二刀流戦法に効果を挙げているからといって、それを封じることしか考えない、というのでは20年間くり返してきた同じ貧弱な発想の繰り返しである。
「新しいやりかたが強くなったら面白くない」「昔のやりかたに戻さなくてはいけない」「いまの卓球は混乱していて昔に及ばない」と固く決意しているのではないか、と思える人も外国の役員の中にはいる。
こういう人はケースバイケースでものを見ない。相手に昔のやりかたを理解することを強要するけれども、新らしい人たちがいっしょうけんめいやっていることについては理解し、支持する気持がない。「理想郷は昔あった。いま、ない。もちろん、このままならば将来にもない。」「秩序ある昔に返さなければいけない。」
アジアの卓球は、50年代のはじめから、常に新しい技術を開発してきた。事実として卓球は発展してきている。木べラだけの時代、軟式の時代、一枚ラバーだけの時代よりも、いまの時代の方が卓球のスポーツ界や社会における地位も高く卓球人口も多い。
「日本ではそうかもしれないが、イギリスでは卓球は落ちこんだ。」と反論する人もいるかもしれない。しかし、国際の比較ということになれば、120の国の卓球人口が増えたことは圧倒的な事実だ。
一つの技術をとってみても話はつきない。理想郷は過去にあるのでなく、将来にある。現実はまだまだたいへんだし、泥まみれである。そんな国際スポーツ界の中で、城戸氏と後藤氏の役割りは大きい。
1976年5月
荻村伊智朗
※卓球王国が運営する「王国e Book」では卓球ジャーナルの電子書籍を購入することができます。
王国e Bookはこちら。