ヨーロッパコーチ会議の報告書 アムパイアについて
ヨーロッパ卓球連合の主催するコーチ会議は、1974年に西ドイツで第1回が実施され、1975年にフランスのリヨンで第2回が実施された。第1回はあまりにも学術的な面が多く日本で行なわれている体協主催のスポーツトレーナー講習会のように基礎的な運動科学の講習会のようになり、集まった各国のコーチ達は2日間を座り通しで、教室で筆記をする生徒のようになってしまったという。
これにこりて、第2回の時には報告者を優れた成績をあげた卓球のコーチであり、プレイヤーでもあったルーマニアのエラ・コンスタンチネスク女子とスウェーデンのクリステル・ヨハンソン氏ら数名にしぼり、基調報告を短い時間で行ない、多くの時間をディスカッションに割いたそうである。
この結果、参加者の多くが発言でき、意見の交換ができた。国際卓球連盟会長のエバンスによれば、「第1回より第2回の方がよかった、と断言することはできないが、第2回の方が出席者により満足を与えたということはできる。」とのことである。
アジア卓球連合は、75年11月に大津で第1回のコーチの集まりを開いた。アフリカでもラテンアメリカでも同様の企画がある。国際卓球連盟に加盟している120の協会のうちの半分の協会が、すでにコーチの集会に出席し、それぞれのコーチに研修させ、資料を入手している。即効的な結果は出ないにしても、3年後、5年後には、必ず「あんなところから」とびっくりするような選手がでてくることだろう。日本卓球協会も技術部あたりが中心になって、スポーツ科学的な分野にも大いに取り組んで“常に先を往く”工夫をつづける必要があろう。
ヨーロッパ卓連のコーチ会議での内容は、ジャーナルの読者にとっては特に高い程度のものには見えないかもしれないのだが、提出された理論を実際のプログラムに組んで、毎日の練習をやってみると、意外にレベルが高いことに気がつかれるだろう。ヨーロッパの力もあなどりがたいものを持っているし、われわれは謙虚に学ばなければならない。
アムパイアについて
先日は、サウジアラビアのリヤド市で、アラビア半島初の審判講習会が開かれた。この席上で、国際卓球連盟名誉専務理事のA・Kビント氏は審判員の使命について次のようにのべた。
「私たちITTFの意見では、アムパイアは大変責任のある立場の人であります。アムパイアには次の三つの大きな責任があります。
第一は、競技者に対して、卓球のルールにのっとったゲームの進行を保証する責任であります。
第二は、観客に対して、彼等がゲームの進行についてゆける(発生したことをいちいち理解できる)のを保証する責任です。
第三は、卓球それ自体に対して、その精神がゲームに反映されるような方法でゲームが進行するようにする責任です。
これらのすべてのことをうまくやりとげるためには、アムパイアは何といってもルールの忠実な学徒とならねばなりません。」
「卓球のルールはいちばんはじめ、テニスのルールをつくった同じ人によって起草されました。最初のゲームは50点勝負で、1マッチは1ゲームでした。しかも、これは50年ほどつづいたのです。しかし私たちはルールをその後いろいろと発展させました。また、卓球のルールは変更されてもよいものなのです。
しかし、変更するためには、私たちはITTFのすべての加盟メムバーに2年に一度の討議の機会(総会)に問わねばならず、議決には3/4の賛成が必要です。
ということは、私たちは、ルールが変更されるチャンスをできるだけ押えている、ということになります。なぜならば、ほとんどの試合の内容はルールによって規制され、ルールにしたがって工夫されているので、ルールが簡単に改定されるようではプレイに影響のある変更が非常に多くなり、混乱を与えることになるからであります。」
「また、アムパイアは、個人的な意見や善意や工夫を、ルールに記載されている範囲外に適用することは避けねばなりません。もし、現在のルールの範囲外に善意の発動をする余地があると認めた人がいるならば、その人はその組織を通じてルールの変更をITTFに提案し、それが通る迄は勝手にルールを変えて解釈運用したり、ルールにつけ加えて解釈、運用したりしてはなりません。」
世界大会において、アムパイアがコール用語以外の自国語を発声したために一方の選手によって抗議を受け、マッチポイントがレットになって大問題になったことが63年にありましたが、これは“アムパイアは、あくまでルールに記載されている範囲のことを正確におこなわねばならない”ことを示している。
ビント氏は国際卓球連盟の役員をつとめること40年、来年の4月に行なわれる第34回世界選手権のおり隔年次総会を花道として惜しまれつつ去る決意であるようだ。
ビント氏の意見には当然だが掬すべき点が多い。いま、世界卓球界の一部には両面異質ラバー貼りラケットの是非を問う論議や“粒の長いラバーに負けた”とする一部の国のラバー規制論議などがある。
1050年代に行なわれた用具規制そのものが“日本いじめ”のためだった。“中国封じこめ”のための空談義よりも、持ちかえの技術一つにも三年もかかる苦労に敬意を表する気持を先ず持つことである。
1976年1月
荻村伊智朗
※原文のまま掲載しています
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