卓球はゴルフなんぞよりはるかにむずかしい。止っているボールを打つのと動いているボールを打つのとのちがいだ。
ところが、ゴルフはやさしくできないが、卓球はやさしくできる。やさしく、といって語弊があれば、いいかげんには、といいかえてもよいだろう。
ゴルフは間が自分の裁量でとれる。だからだれでも慎重になり、万全を期す。スタンスがどうだ、アドレスがどうだ、振りはどうだ、ということになる。
クラブをえらぶことによって振りの大きさもあらかじめ決める。万事ないがしろにはできない。
ところが卓球というやつは、とにもかくにも相手の台ヘ入れなければならず、月賦の期限がくるようにちゃんとボールがきてしまう。まごまごしていれば通り過ぎてしまう。
そのため「とにかく当てて、とにかく返さないといけない」ということになる。とにかく入れて、なりふり構わず返球してみると、意外に相手が失敗してくれたりする。相手より一回よけいに返せば勝ち、である。「どう返すかが問題だ」などといっていると「凝りすぎるな!」と叱られるはめになりかねない。
事実、中学や高校レベルの競技会では、とにかく確実に返せばよい。ファミリースポーツのママさん卓球も、試合に出るような人は確実に入れて返すタイプの人が多い。返球するだけの工夫ならば爆発的な力はいらない。
日本は資源小国だ。省資源、省エネルギーは国の基本的な政策ともいえる。そこで“体力のない卓球選手は、省エネルギー型の卓球フォームを身につけるべきである”ということになるだろうか。
それはまちがいといえよう。
卓球ではエネルギーの乱費もいけないが、省く必要はない。なぜなら、使いかたが上手ならば、使えば使うほど効果があり、得点に結びつくのが卓球だ。
体力のない卓球選手、と私は書いたが、これには論理のマジックがあるのに気づいた読者もあろう。
体力というのは資源とちがい、増やせるもの、開発できるもの、である。資源小国日本が資源大国になることはないとしても、体力のない卓球選手が体力のある卓球選手になることは可能である。
結論からいえば、体力のある卓球選手は体力のない卓球選手にまさる。
さてその体力をどう使うか。
どのように使えば乱費ではなくて有効な使用なのか。
どのように使わないと省エネルギーになってしまうのか。
それをコーチや選手はよくよく考える必要がある。
アジア選手権とアジア競技大会をみながら思ったことである。
1979年2月
荻村伊智朗
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