『一に情熱、二に節制』1980年4月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

一に情熱、二に節制

この春、おおぜいの人が卓球部に入る。そして、同じくらいの人が卓球部を去る。うちこめばうちこむほど、卓球をやるのはつらい。とてもつらい思いをして、もう卓球なんかやらないと思って一気にやめてしまうときもあろうが、そういう例は少ないほうだろう。みんな、おもいを残しながら卓球部を去り、勉強や仕事に追われるうち卓球から遠ざかってゆくのが実状だろう。

 

卓球をやめる、ということは、一度死ぬ、ということだな、と私は思った。もう自分の身体はこれ以上、運動性能が向上しない、と思われる時期が誰にでも必ずやってくる。特に30歳を過ぎるとスタミナが衰えてくる。瞬発力はけっこうあるのだが、長丁場の試合になると疲労を消化できない。

 

卓球のトーナメントのスケジュールはテニスにくらべると残酷なほどだ。テニスのウインブルドンのように一日一試合のスケジュールならば、私も35歳までは確実に世界のトップでやれたと思う。

 

自分がこれ以上伸びないと思ったとき、私自身にとって、引退すべきときであった。私の場合はまだ恵まれていた。卓球をやめてゆく淋しさから救われるすべがあった。全日本のコーチを数年やり、日本代表の後をつぐ若い人達と毎日接し、これに自分の知識、経験を伝える場をもったからだ。私の場合はいわば天寿を全うし、意義ある余生を送れた、といったところだろう。

 

それにくらべると、故障のためにあたら続けられる競技生活を断念する人の心中は察してあまりある。いっしょうけんめいやっていた人ほど、少し無理をしたりしたのがたたって故障がでる。

そのためにまだまだ快哉(かいさい)をさけぶような場面も数多く迎えられるというのに去っていかなければならない。しかし、その人なりに満足の気持ちも残るというのが卓球生活のありがたいところだ。

 

この春、卓球をはじめる人は、一つにはいまのいきいきとした卓球への情熱、卓球をやるよろこびをいつまでももってほしい。

二つには、ケガ、病気、学業不成績などの理由で早めに卓球を断念しなくてはならないことのおこらないよう、節制した生活をおくってほしい。

卓球はやればやるほど奥行きが深く、こんなおもしろいスポーツはほかにない。じっくり時間をかけ、とことんまで奥儀をきわめてもらいたい。

1980年4月

荻村伊智朗

1980.4.一に情熱,二に節制

1959年ドルトムント大会3

 

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