『性格』1980年2月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

性格

新しい年を迎えて、一念発起した人が多いとおもう。新しい目標をたてた人もいようし、ふるい目標をもう一回、こんどこそと、かかげた人もいよう。

目標というものは、心に思っているだけでなく、他の人の目にもわかるようにはっきりかかげると、そのことに対する責任を強く感じ、自分の行動を良い意味でしばり、どうしてもやりとげなければならない雰囲気にさせる効果がある。もっとも、決心した目標のうちあまりにも大きいものは、秘かに胸にしまっておく、ということもあるが、一般的には明らかにした方が効果が高い。

 

せってくると固くなり、頭が混乱したり、思考がとまってしまったりしていやだ、とおもって今年こそは努力して自分の性格を変えたいという人もいよう。私の考えでは、ある性格にはそれなりの長所と短所がある。短所と長所は貨幣の裏と表のようなもので、短所をなくせば長所も失われる。

卓球の戦型についても同じことがいえる。ラバーやラケットについても同じことがいえる。万能の武器のように宣伝する人があれば、それは良心的でない、というだけの話で、すべてのラバーには性格があり、長所と短所があるのは人間と同じである。

 

もう一つ私の考えでは、人間の性格は変わらないし、無理して変えようとする必要もない。むしろ、卓球のプレイにあらわれては困る短所は自分の性格でいえばなになのか、をよく知ることで充分である。私のように、中学時代に自分のことを”熱しやすく、あきっぽい”と規定し、高校に入ってから卓球をはじめたとき、その短所を決してこのことでは出すまい、と決心し、毎日努めた結果、一つの域に達した例もある。

また、高校の国体予選での敗戦から、”俺は勝利を目前にしてブルう”と自分を規定したからこそ、練習のときに、いつもブルいそうな心の状況を工夫し、それに耐えることによって、自分の意識する欠点を出さないですむようになった。そしてその反面の長所を大いに発揮できるようになった。

卓球をはじめてからの私は”粘り強い”性格というようにみられているし、大学以後は試合であがったことは一度もなかった。

鍛えられたスポーツマンの長所や性格的な特徴のなかには、このようの第二の天性になっているものも多い。第二の天性は、第一の天性の短所をはっきりといさぎよく認めることからはじまるように思う。

1980年2月

荻村伊智朗

 

1980.2.性格

1954年荻村

 

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