『だるまの目』1980年5月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

だるまの目

来日中のマレーシアのジュニア選手が私の会社の事務所を訪ねて、片目のだるまやら両目のだるまがいくつか並んでいるのをみて目を丸くした。前橋の知人が毎年贈ってくれるもので、ありがたく活用させていただいている。折から内部の引っ越しなどでだるまさんが高いところから机の上に移ってきていて目にとまったのだろう。

私は、だるまさんはたぶんインド系の人で、中国へきて仏教を広めた人、壁に向って足がなえるほど思案の修業をつんだ人、日本語でビジネスは”商い”といい、”飽きない”にもゴロが通じて、一心不乱にひとすじの道を貫く人が成功しやすいと信じられていること、だるま人形はその上、足がないので七転び八起きの不撓不屈(ふとうふくつ)の精神のシンボルともみられていることなどを話し、中国や朝鮮半島、日本のような大乗仏教や東南アジアにみられる小乗仏教などの話題にも及んだ。

マレーシアの選手たちは、特に、一つの願い事をして片目を入れ、願いごとがかなったらもう一つの目を入れる、ということをよろこんできいていた。

考えてみれば、卓球の選手は心にだるまをいくつも持っていることになる。

一つのだるまには一つしか願わない、というのが私はやっぱりよいと思う。たとえばツッツキ。もっと細かく切って返すツッツキ、という技を達成しようとおもってみる。切れたツッツキを切って返す、切れないツッツキを切って返す、横回転のかかったサービスを切って返す、短いものを長く、長いものを短く、左右へ動いて、前後へ動いて、というように細かくわければわけるほど、達成したかどうかがはっきり意識しやすい。

それらの一つ一つのだるまが両目をもったら、全体がランダムにおこなわれてもうまくゆくかどうか、という中だるまの両目を入れる作業が残っている。

次には、試合にいろいろな技といっしょにつかえるか、そして、適切な場面にあてはめてつかえるようになったか、というように順次大きなだるまさんに目を入れてゆく。

いくらいっしょうけんめいやっていても、努力の目標をうまく設定せず、努力の成果をうまく認識できないと使った時間は無駄になる。努力の質を高めるには、いろいろの方法がある。卓球ジャーナルの読者の効果的な努力が今シーズンはいっそう実るように期待しています。

1980年5月

荻村伊智朗

1980.5.だるまの目

荻村伊智朗

 

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