『周総理の接見から』1973年9月 卓球ジャーナル「発行人から」より-荻村伊智朗

周総理の接見から

9月8日、3A大会の閉幕の二日後、北京の首都体育館はまたも一万八千の大観衆が卓球をみるためにつめかけた。9日の政府機関紙「人民日報」は、この試合を“中日両国兵兵球老カ員挙行表演賽(中日両国のべテラン卓球選手が模範試合を行なった)、と、四分の一ページをさき、三枚の写真入りで報じた。

この試合をみるために、周恩来総理をはじめとし、紀登奎中共中央政治局員、李富春中共中央委員、廖承志中日友好協会会長、王猛国家体育運動委員会主任、符浩外交部副部長などの多数の政府要人が来場した。

日本の小川平四郎大使や長谷川喜代太郎前日卓協理事長(0B団長)も周総理の隣席で観戦した。

試合には日本側から角田啓輔、木村興治、川井一男、星野展弥、成田静司、藤井基男、伊藤繁雄、栗本(松崎)キミ代、岡田(大川)とみ、加藤(渡辺)妃生子、田坂清子、中条(楢原)静世、荻村、中国側から荘則棟、李富栄、徐寅生、張燮林、王伝耀、邱鐘恵、孫梅英などが参加した。

人民日報の表現をかりれば、「今晩、双方のべテラン選手達は、男女シングルス、ダブルス、混合ダブルス、日中混合ダブルスを含む13の模範試合を行なった。選手達は、男女シングルスに世界選手権を獲得したもの、男女団体の選手権を獲得したもの、第二位になったもの、など、世界卓球界の名将である。久しく卓球競技場にて手合せをしなかった人達もいれば、ひんぱんに往来をしている古い友人もいる。今晩の一回の手合せにおける活動で身をもって中日両国人民の友情の新発展を表現し、観衆はまた高い水準の多彩な演技をよろこんで賞味した。満場一万八千の観衆は両国選手の精彩な演技に報いるに、熱烈な拍手をたやすことがなかった。」

試合後、周恩来総理、紀登奎、廖承志、王猛、符浩、などの政府指導者が日中ベテラン選手と一時間近くにわたって接見をした。小川平四郎大使も同席された。

席上で周総理は、日中両国卓球選手は十七年間の友好往来の中で両国人民間の友情の発展のために重要な貢献をし、世界各国卓球選手間の友好往来と、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ卓球競技の発展を促進する作用を果した、と賞賛の言葉をのべられた。日本に帰ったら、田中首相、大平外相、三木副総理、中曾根さんなどもそして日本の友人のみなさんによろしくお伝え下さい、という言葉にもとづいて、周総理の発言を私の記録によって紹介する。

周総理の発言は私個人にあてられたものではなく、私の活動を支援してくれた人々、卓球ジャーナルの読者も含めて、に寄せられた言葉であると考え、あえて紹介する。

「日中両国卓球選手間の交流は、1956年に始まってから17年間になりますが、この間、両国卓球選手は両国人民間の友情の発展のために重要な貢献をしました。長谷川喜代太郎先生は大きな貢献をされました。また、荻村先生も貢献をされました。両国政府や人民も両国卓球選手の友好往来に大きな支援を与えました。特に1971年の第31回世界選手権のあと、中国と各国との交流は急速に活発になりました。アメリカをはじめ、多くの国がこの大会を契機に中国を訪れ、交流が活発になりました。この点、私達はよろこんでおります。この面で荻村伊智朗先生は大きな貢献をされました。」

各選手の批評に移って「今日はみなさんは昔と少しも変わらない勢いで大変立派な卓球の試合を披露されました。私は今日はみなさんの卓球の試合を見たくて、仕事を途中でほおり出して見にまいりました。『徐寅生は理論家だ』と長谷川喜代太郎先生がおっしゃいましたが、それはどうですかね。理論は実践を伴わなければいけない、と毛主席も教えています。徐寅生の実践はさほどでもないから、理論もさほどではないかもしれませんし(笑)。荘則棟は77kgもある、というのは感心しません。卓球の球を打つことは私は荘さんに学ばなければなりませんけれども、健康を保つということでは、荘さんは私に学はなければなりません。私はここ数十年間ずっと65kgで過ごしております。この点では廖承志さん(80kg以上)も私に学ばなければなりません(笑)。松崎さんは単に卓球が上手なだけでなく、中国の昔のことわざにある、勝っておごらず、負けて悪びれない、という最高級の風格を備えた選手です。中国は松崎さんに学ばなければなりません。栗本さんはそういう意味ですばらしい奥さんをお持ちです。もし日本の卓球界が松崎さんをコーチに頼まないのならば、どうか1年に2度中国にコーチに来てください。松崎さん、荻村さん、星野さんは今日は少し遠慮をしたのではないですか。」

「みなさんは日本に帰られたら、田中さん、大平さん、三木さん、中曾根さんによろしくお伝えください。」小川大使が日本の政府も日中友好に大いに努力しているが、卓球の人達にはまだ及びません。私達も今後一層努力をします、と述べられると、「構いません、追いつきましょう。」和気あいあいたる中にも、世界の動きから小さな球の動きにいたるまでのスケールの大きい話術で、周総理は参会者の一同を魅了した。

長谷川喜代太郎団長にかわって矢尾板弘日本卓球協会理事長が0B団をお招きいただいたことに対してお礼をのべ、3A大会が勝利のうちに成功したことに対してお祝いの言葉をのべた。

荻村が次に周総理から指名されて、日中両国卓球界の友好往来に対しての中国政府と中国人民の支援に対して感謝の言葉をのべ、日中両国卓球選手間の友情と団結のきずなが今アジアの友情と団結の中心的なきずなになり、さらに第三世界の友好と団結の中心的なきずなとなって、大きな輪を広げていこうとすることに対するお祝いをのべた。

荘則棟氏が次に指名されて、日本の卓球選手達が日本人民の友好の気持をたずさえて中国に来てくれたことがなによりもうれしい、とのべた。

次に松崎さんが指名され、夫妻で招待していただいたことに対するお礼をのべ、今後も日中友好のために尽力したい、とあいさつした。

これらの人達があいさつする間、マイクロフォンのコードが固定している関係もあって、周総理はそのたびごとに話し手の座席に移ってそれらの話に聞き入り、あいづちをうち拍手をした。

長征ののち、中国革命の根拠地延安にたてこもった時代から、卓球はことのほか愛好されていると聞いている。しかし、今度の接見を通じても単に一指導者の趣味的な動機で卓球に力を入れたり、特定の人達をひいきにしたりしているのではなく、あくまで政府の指導者としての立場から、深い考えの上で卓球にも取りくまれているというかんじがした。

卓球は今はこうした国家的なスケールのバックアップで、自分の力でできる以上の発展策がこうじられている。こうした外部の支援をもよく活用して、卓球界内部の力もさらに発展させていかなければならない、とかんじた。そうして発展した卓球界の力は、将来必ず“新ピンポン外交”“新々ピンポン外交”として、世界の平和に貢献することと思う。

1973年9月

荻村伊智朗

 

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