日本の社会制度の中で世界で勝つには
2月27日板門店でおこなわれた第1回南北朝鮮卓球協会のピンポン会談を前にして、NHKから南のチームの強化合宿風景がテレビ放送された。国際卓球連盟は南の選手がピョンヤンでプレイできるように努力してきたが、この卓球ジャーナルがでるころはピョンヤンで抽せん会が行われているころである。
話合いが成功して、国際卓連も南も主催者である北もニコニコして抽せん会をやれるようになることを祈っている。
一方ピョンヤンでは、70台の大会使用台であるスティガVMが空輸され、うち25台を会場に並べつめて、選手50名、コーチトレーナー20名、役員や見学選手などもふくめた大合宿がおこなわれている。サービスの練習装置も数台おかれ、主力選手の練習コートにはコーチトレーナーの他、分析チームもはりついている。
とても日本卓球協会のまねできる芸当ではない。
中国の徐寅生体育次官と李富栄卓協副会長に中国風しゃぶしゃぶをごちそうになりながら、朝鮮のあれは中国流ですか、ときいてみた。
彼等は笑いながら、中国ではとてもそんなにやれません、といった。もっとも第26回大会のときは、と李富栄さんが言葉をついで108人の選手が合宿して私たちは梁山泊のようだ、と笑ったものです、とのことだった。私は、日本で4年後に行われる37回大会の準備のことをおもっていた。
12月のバンコックで中国が金メダル50個をとり、日本に急接近したとき、現地の記者たちには、日本はこのままでは追い越される、という危機感がみなぎっていた。
率直にいって国家の庇護のもとにやっている全体主義国の真似をしてもだめだろう。南北朝鮮や中国のまねは日卓協にはできっこない。
ところが東独の水泳のような国家の力での強化が成功しているところになぜアメリカの一クラブチームが勝つのだろうか。なぜ田舎町で一人の女性コーチに指導されているだけのハイデン兄妹が驚異的な圧勝記録をつくりつづけているのだろうか。
卓球のような個人競技を日本の社会制度の中でやるには、まず“個”の確立が大切である。それには全体主義国の猿マネは必要ではない。東洋、そして日本には、個の確立を追求した精神文化も多く存在する。
釈尊が生まれ落ちたときに“天上天下唯我独尊”といった、ということもその一つの例であろう。
1979年4月
荻村伊智朗
※卓球王国が運営する「王国e Book」では卓球ジャーナルの電子書籍を購入することができます。
王国e Bookはこちら。